【忘れられた独立英雄を探す(上)】「大韓独立万歳」叫んだ王宗順、14歳だった…もう一人の柳寛順178人(2)

投稿者: | 2025年8月13日

女性が教育を受けるのが珍しかった時代、王宗順のように学校に通った女性は「新女性」の軸に加わった。意識が高い女性は独立運動に積極的に身を投じた。

東京朝日新聞は、1919年3月1日に京城女子高等普通学校の生徒がデモ隊を形成して独立万歳を叫びながら街頭行進をする写真を撮影し、3月5日付に掲載した。日本の記者の目にも女子生徒のデモ隊の登場が衝撃的だったということだが、このように三一運動の過程で女性の参加は特に目立った。

 1919年3月10、11日に江原鉄原(チョルウォン)の村で最初に万歳行列を主導したイ・ガクギョン(当時21歳)がそうだった。鉄原は江原道(カンウォンド)万歳運動の拠点だった。

開城(ケソン)ホスドン女学校を出たイ・ガクギョンは女学校の同窓生キム・ギョンスンら約700人の住民と共に鉄原郡庁・鉄原駅の前で大極旗を振って独立万歳を叫んだ。

イ・ガクギョンらは親日派の朴義秉(パク・ウィビョン)の自宅を訪ねて「独立万歳を叫べ」「隠している李完用(イ・ワンヨン)を出せ」と要求したりもした。イ・ガクギョンは後に裁判で日帝判事の前で自身が独立運動を主導したことを堂々と明らかにした。裁判所は懲役4カ月および罰金20ウォンを宣告した。イ・ガクギョンが懲役刑を受けた事実は1919年10月14日の独立新聞に「鉄原独立軍の判決」という記事で掲載された。「イ・ガクギョン女史」は1970年代に出版された独立運動史にも登場する。イ・ガクギョンが鉄原万歳運動で「先鋒で活躍した」という内容だ。しかしイ・ガクギョンはTFが昨年発掘したことで、正確に知らせることが可能になった。鉄原万歳運動で収監された参加者のうち政府から褒賞を受けたケース自体が李昭姫(イ・ソヒ)女史(2016年大統領表彰)など一部にすぎない。

独立記念館の関係者は「有功者褒賞の推薦をするには独立運動後の行跡も確認されなければならず、女性独立活動家は残っている史料自体が多くない」とし「同名異人なのかも確認できない資料も多い」と話した。

2025/08/13 14:50
https://japanese.joins.com/JArticle/337546

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