【コラム】韓国サッカー、生まれ変わるにはまず死ななければならない(1)

投稿者: | 2026年8月16日

祭りは終わった。熱かった北中米ワールドカップ(W杯)は幕を下ろした。韓国は過去最上の組に属したが、無力に脱落した。カタール大会でポルトガルを破る時に見せた執念も、闘志も、体系的な戦術もなかった。いったいどこから誤ったのか。

私たちにサッカーは単純なスポーツではない。2002年の韓日大会で赤いシャツを着て街頭にあふれ出た国民が目撃したのは準決勝進出という成績表だけではなかった。サッカーの世界最強国をひとつずつ破って確認した「韓国も世界最高になれる」という自信だった。サッカーは私たちの国家的自負心と集団的躍動性の象徴だ。世界をさらう韓流と先端産業で韓国は世界的な注目を浴びている。私たちの国家的自負心はいつになく高いが、ここに見合わない水準の低いサッカーに怒っているのだ。

 W杯失敗の1次的責任は代表チーム監督とサッカー協会長にある。しかしそれがすべてではない。韓国サッカーの問題点は総体的で、代表チーム監督と協会長の交代だけではだめだ。すべてのものを変えなければならない。サルマン・ラシュディが小説『悪魔の詩』で書いたように、「生まれ変わるためはまず死ななければならない」。

韓国サッカーはどのように死ぬべきで、どのように生まれ変わるべきだろうか。今回のW杯で驚くべき技量を見せた日本のサッカーが示唆点を与える。日本サッカーには現在の日本を作った明治維新のDNAが流れている。日本サッカーの発展戦略は明治維新の「富国強兵」の公式そのままに似ていた。1871年冬、横浜港で「アメリカ号」に乗り込んだ岩倉使節団100人余りの心情は切迫していた。これは西欧列強の武力示威の前に危機を覚えた明治政府の核心勢力が国政を空けて西洋に向かった空前絶後のプロジェクトだった。

その後使節団は約2年にわたり米国と欧州の主要12カ国を歴訪し、西欧先進国の政治・経済・軍事・教育制度を緻密に記録した。国家システム改造に命運をかけたこの「留学」の歴史は150年が過ぎたいま、青い芝の上で再現されている。

明治維新当時に西欧の文物を吸収し近代国家の基礎を固めた岩倉使節団のように、現在の日本サッカーには欧州の大リーグのテンポとシステムを学んだ「現代版岩倉使節団(欧州派選手と指導者)」が豊富だ。しかし日本サッカーは模倣にとどまらなかった。西欧の技術を受け入れながら日本の精神を守ろうとした明治維新の「和魂洋才」の哲学のように、先進サッカーモデルを吸収しながらも身体的弱点を補完する独自のスタイルを創造した。短く精巧なパスワークに有機的な組織力を加味した。

2026/08/16 11:46
https://japanese.joins.com/JArticle/353599

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