「プレジデント」の日本語訳はどうして「大統領」になったのか【朝鮮日報コラム】

投稿者: | 2025年1月5日

 英国や日本のように王と政治指導者が分離された立憲君主国家を除けば、大部分の国で、王朝の末路は悲惨だった。フランスのルイ16世とその夫人マリー・アントワネットは断頭台で処刑された。ロシア革命後、ウラル山脈付近に追い払われたニコライ2世は、ボルシェビキによって地下室で一家が皆殺しにされた。中国最後の皇帝、宣統帝(溥儀)は紫禁城から追放され、悲惨な晩年を過ごした。国民が王朝を倒した国々では、王に対する幻想や未練がない。王朝の最後を目撃し、こうした記憶がくっきりと刻まれているからだ。

 逆に朝鮮王朝は、植民支配によって、ある瞬間に目の前から蒸発した。だから高宗と明成皇后(閔妃)は打倒の対象ではなく悲運の記憶として残ることになった。36年の植民支配が終わり、朝鮮の民衆は王に代わる大統領という聞き慣れぬ名称の指導者を選出することになった。その後80年近く、民主共和政のリーダーを直接選出したが、「偉大な頭目」という意味の大統領という言葉が与える重みに押さえ付けられてきた。韓国人は共和政のリーダーを選んでいるのか、現代の君主を推戴しているのか。大統領、大統領とあがめられ続けたら、その指導者は自分でも知らぬ間に「選出された君主」として汚染される。韓国の大統領制の悲劇はここから始まっている。

 漢字文化圏の国の中で、大統領という単語を使っている国は韓国と日本だけだ。中国は「総統」や「領導」と呼ぶ。英語のプレジデント(president)がすなわち大統領ではないのか、と思うだろうが、そうではない。プレジデントとは、もともとは司会者・議長という意味だ。米国は権威的な意味を排除するため、建国当時からプレジデントと呼んだ。米国では国家指導者も、企業の会長も、学生会長やスポーツクラブの会長も皆「プレジデント」だ。

 1853年に黒船を率いて浦賀にやって来たペリー提督は、フィルモア大統領の親書を持ってきた。日本はこの親書の「プレジデント」をどのように解釈するか悩んだ。最初は君主、王と呼ぼうとしたが、「侍の頭目」という意味でも使われていた統領(または頭領)に「大」を付し、大統領という言葉を作った。「大」を付けることで「偉大な」という最高の尊称の意味も込めた。哲学、科学、社会のように、英語が漢字語に転換される過程の一つだったが、大統領は誇張され歪曲(わいきょく)された造語だった。1858年の日米修好通商条約締結時の公文書では、初めて「アメリカ合衆国大統領」が使用された。

2025/01/05 09:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/12/30/2024123080014.html

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