観月堂を自己負担で韓国に返還した高徳院・佐藤孝雄住職「帝国主義時代の遺産、元の場所に返すのは世界的な流れ」

投稿者: | 2025年6月27日

 「最初に決心してから韓国へ完全に送り返すまで23年かかりました。重要なことを終えるに至り、自分の生涯で最も大きな自負を感じます」

 神奈川県鎌倉市にある高徳院の佐藤孝雄住職(62)は「韓日国交正常化60周年を迎える今年、観月堂を故郷の韓国に送り返せることになって光栄」と語った。6月24日にソウルの国立古宮博物館で対面した佐藤さんは、けさではなくスマートな洋服姿だった。佐藤さんは僧侶であると同時に、慶応大学の民族学考古学教授として大学で学生らを教える学者でもある。佐藤さんは「帝国主義時代に植民地から持ち出された文化遺産を再び返還するのは世界的な流れ」だとし「重要なのは、送り返そうという気持ち」と強調した。

 佐藤さんは2002年に住職になったときから、観月堂を韓国に送り返すべきだと考えていた。長年持ち続けていた意思を貫徹するため、19年に金柄徹(キム・ビョンチョル)慶応大学教授、韓日関係の専門家である河棕文(ハ・ジョンムン)韓神大学教授などと相談し、当時の文化財庁(現・国家遺産庁)および国外所在文化遺産財団側と会って話し合いは急速に進展した。

 建物を解体して関連部材を韓国に移すまでの、日本国内での費用は全て自費で負担した。「文化遺産を保管・管理してきた立場から、費用を出すのは当然の責任」と佐藤さん。韓日の文化遺産についての学術交流を支援するため1億円の基金を整え、国外所在文化遺産財団に寄付する案も協議している。

 返還の過程は順調ではなかった。最初に試みた返還の話し合いが白紙になり、危機に直面したこともあった。「2010年、最初の話が出たが、私の許諾もなく進められ、メディアで報じられた翌日すぐに右翼団体が介入して『拡声器を持って寺の前に出動する』という脅迫電話がかかってきた」「信頼できるパートナーが必要だという思いがいっそう切実になった」と語った。

 今回も、日本の右翼が反対するのではないか。「15年前と違うのは、既に観月堂の部材が韓国に全て入っているということです。移送作業の真っ最中だった昨年末、予想できなかった戒厳で不安にもなりましたが、もう始まっていることなので後戻りはできない、と判断しました」

 「考古学者として、日本と韓国は同じ遺伝情報を持っていると思う」という佐藤さんは「日本国内にも、植民地時代に持ち出された文化遺産を元に戻すべきだという意思を持つ研究者は多い。観月堂の事例が一つのモデルになり、韓日友好の象徴になるはずだと信じている」と語った。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者

2025/06/27 10:20
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/06/26/2025062680199.html

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