「私たちの子や孫に謝罪させない」安倍氏の談話、日本の鉄則になる(2)

投稿者: | 2025年7月20日

◇河野談話検証と朝日新聞の誤報謝罪

韓日関係において安倍氏の足跡を理解するためには安倍談話以前に時計を戻してみなければならない。米国から「失望」という反応を得た2013年12月の靖国神社参拝に続き、2014年4月25日に安倍氏はチームを作る。「河野談話作成過程等に関する検討チーム」だった。慰安婦問題に対し強制性を認めた河野談話が「事実に基づいていない」という彼の考えで作られた検証組織だった。安倍氏が検証に出た河野談話はどのように作られたのだろうか。

 1991年8月に金学順(キム・ハクスン)さん(1997年死去)が慰安婦被害の事実の公開証言をして1年後。当時の宮沢喜一首相が1月に韓国を訪れた。韓国政府の要請で慰安婦問題に対する真相究明調査に入った日本政府が韓国を訪れ慰安婦問題が初めて両国首脳間の問題に浮上した。「資料を探すことはできない」という日本のぬるい立場に韓国の反発は強かった。当時の谷野作太郎内閣外政審議室長が調査チームを率いたが、日本の文筆家であり共産党員である吉田清治氏の「証言」もやはり調査対象のひとつだった。

吉田氏は『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年)、『私の戦争犯罪』(1983年)などを出版したが、彼の慰安婦関連証言を記事化したのは朝日新聞だった。1990年に朝日新聞の川崎地域版をはじめ、1992年には「済州島(チェジュド)で2000人近い朝鮮人女性狩りをした」という記事が掲載されたが。90年代に掲載された慰安婦関連報道は16回に達した。調査に入った谷野チームは16人の慰安婦と会い、調査結果に基づいて1993年8月4日に報告書が発表された。当時の河野洋平官房長官が会見したが、彼は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた。心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした。

後に「河野談話」と呼ばれるこの談話は、自民党保守派の反発を呼び起こした。安倍元首相の話を盛り込んだ『宿命の子』を書いた船橋洋一元朝日新聞主筆は河野談話に対する日本社会の影響について、自民党保守派のうち歴史問題で「新人類」と呼ばれる若い派閥横断的なグループが誕生する契機になり、その中心的役割を担った1人が安倍氏だったと書いた。

韓国では右翼性向に分類される高市早苗元経済安全保障担当相らを中心に新たな会が生まれたが、その中心役割を担ったのが安倍氏だったためだ。1992年7月に若手議員の会は具体化し、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」と呼ばれた。安倍氏はこの会を通じて河野談話と村山談話、靖国神社参拝、慰安婦問題などを議論の「主題」として持ち出し始めた。

第2次安倍政権に入り安倍氏は河野談話検証の意志を具体化した。彼の指示で作られた検証チームは調査開始2カ月後の2014年6月20日に報告書を出した。安倍政権は、河野談話の作成過程において両国政府間で内容調整があったという趣旨で談話自体を無意味なものと低く評価した。韓国外交部は反発した。外交で協議過程を明らかにするのは前例のないことだった。この検証後に安倍談話まで続き両国関係は悪化の一途をたどり始めた。

河野談話の根幹となった慰安婦問題をめぐり安倍政権は朴槿恵(パク・クネ)政権と水面下の交渉を続けていた状況だったが、慰安婦問題に議論の燃料を注ぎ火を付けたこともあった。朝日新聞の誤報謝罪だった。

2014年8月5日、朝日新聞に記事が掲載された。見出しは「読者の疑問に答えます」。第2次大戦中に済州島から女性を強制的に連行してきたという吉田氏の証言は虚偽と判断され記事は取り消すという文で記事は終えられた。慰安婦問題報道で先導的な役割をした朝日新聞の誤報認定は河野談話に対する安倍氏の考えを確信にした。

彼は朝日新聞の誤報報道後にある放送で「誤報により多くの人が苦痛を受け国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言ってもいいだろう」と話した。前向きな歴史認識を持つとさえれる石破地方創生担当相(当時)も「どれほどの国語能力を持っていたのか」として吉田発言報道を批判したりもした。

朝日新聞の誤報認定と1カ月後に続いた謝罪は日本政界にも余波が広がったが、当時一部の自民党議員が河野談話の主人公である河野洋平氏を国会に招致すべきという主張を出すほどだった。朝日新聞はこの誤報に関する紙面と第三者調査委員会の調査内容などを現在も公開している。

河野談話の検証、朝日新聞の誤報認定にもかかわらず、安倍政権は2015年12月28日に朴槿恵政権と慰安婦合意を共同で発表する。日本側で発表を務めた当時の岸田文雄外相が読み上げた文面はこうだ。

「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」。

河野談話再検証、安倍談話と比較して一歩進んだ内容だった。だが慰安婦合意は韓国内で屈辱外交という批判を受け議論に包まれた。安倍氏は回顧録で、当時の慰安婦合意で「最終的かつ不可逆的解決」に固執した理由をこのように説明した。

「私の謝罪をみんなすっかり忘れてしまったようですが、朴槿恵韓国大統領に電話しました。『慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべてすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する』という内容でした。強制連行を認めているわけではありませんが。私も含めて、今後の日本の首相は、慰安婦問題の『い』の字も言わなくて済む合意というつもりでした」。

李元徳(イ・ウォンドク)教授は「朝日新聞の誤報は河野談話検証とともに韓日60年史で両国関係が過去史問題で悪化した瞬間に広がったもので、日本発の過去史対立だった」と評価した。その上で「安倍氏個人は歴史修正主義的信念が強い人で、安倍氏出現後に日本のいわゆる歴史認識問題や国家主義傾倒現象が強まった。全体が右傾化、歴史修正主義に進んで行くところに安倍氏の役割は大きかった」とした。

2025/07/20 11:55
https://japanese.joins.com/JArticle/336485

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