「火垂るの墓」を覚えているのなら【特派員コラム】

投稿者: | 2025年7月25日

 「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」

 太平洋戦争が終わった年、清太は日本のある鉄道駅の柱にもたれかかって死んだ。1カ月あまり前、天皇の降伏宣言で戦争は終わったが、14歳の幼い少年にはもはや生き抜く力がなかった。同年3月から米軍は戦略爆撃機B-29を動員し、日本本土への本格的な大空襲作戦を実行した。日本軍の息の根を止めるという大義名分の下、燃えさかる焼夷弾を最も弱い民間人居住地に浴びせた。

 4歳の妹、節子をおぶって先に避難していた清太は、全身が焼けただれて包帯で覆われた母親と対面。外では事情を知らない妹がうろうろしている。清太は涙を流さない。父親は軍隊に動員され、頼れる人のいない兄妹は人気のない山奥の防空壕に居所を移す。兄妹が眠りにつくと、ホタルがやってきて明かりをともす。翌日、死んだホタルのために穴を掘っていた節子は兄に言う。「お母ちゃんもお墓に入ってんねんやろ? うち、おばちゃんに聞いてん」と、顔を上げずに悲しみを隠す兄に節子は泣きながら尋ねる。「なんでホタルすぐ死んでしまうん?」 それから間もなく、栄養失調で節子も死んでしまう。まるでほんの少しのあいだ光って死ぬホタルのように。清太は妹の好きだったドロップのカンを懐に入れてやり、自らの手で火葬する。

 故高畑勲監督(1935~2018)のアニメ「火垂るの墓」は、太平洋戦争中に死んでいった罪なき子どもたちを描いた名作だ。高畑監督は「となりのトトロ」などで有名な日本アニメーションの巨匠、宮崎駿監督とともに製作会社スタジオジブリを設立した人物でもある。同名の原作小説を著した故野坂昭如は、日本の首相の靖国神社参拝反対や戦争反対を強く訴えた人物だ。

 敗戦80年を迎えた今年、日本ではOTTのネットフリックスが今月15日に、本作を改めて公開した。ストリーミング初週にはグローバル7位(映画、非英語部門)、日本で3位となった。原作の版権を所有する新潮社は「あの日から80年も経つのに、未だ戦火がやまない時代にあって、国籍、人種、民族問わず多くの方々の心にじわりと染み渡っている」と評価した。

 十数年前に本作を初めて見た時と同様、今回も心がとても痛み、一場面、一場面をまともに見ることが難しかった。一方で本作は、軍国主義の郷愁を刺激する近ごろの日本の政界の雰囲気を思い出させた。日本では、植民地支配に謝罪の意を表明した1995年の村山富市首相(当時)の談話以降、10年おきに発表されてきた「首相談話」に対する抵抗の動きが見られる。20日の参議院選挙では、極右系の新しい政党、参政党が、戦争放棄条項を修正する改憲、天皇中心の立憲君主制のような時代錯誤的なスローガンで旋風を巻き起こした。排外主義を前面に押し出した参政党の支持率の高まりに、他の保守政党だけでなく政府までもが外国人規制を強化する組織を作った。石破首相は自民党の参議院選挙での惨敗の原因として、外国人に対する対応をあげた。今月16日の日本の265の非政府組織(NGO)による共同声明(18日現在で1143団体が賛同)には耳を傾けるべきものがある。「ヘイトスピーチ、とりわけ排外主義の煽動は、外国人・外国ルーツの人々を苦しめ、異なる国籍・民族間の対立を煽り、共生社会を破壊し、さらには戦争への地ならしとなる極めて危険なものです」

2025/07/24 18:41
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/53826.html

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