傍観者のレッテルを張られたチャムスリ358号艇の勇士たち、彼らも英雄だった【独自】 第2延坪海戦再調査

投稿者: | 2025年8月23日

 韓国海軍が、第2延坪海戦(2002年)当時の軍の対応について再調査を進めたことが分かった。韓国海軍はこれまで、当時戦闘に参加していたチャムスリ2隻のうち、北朝鮮の攻撃を受けたチャムスリ357号艇(150トン)の対応についての評価に集中してきた。しかし海戦勃発から22年後の昨年行われた再調査で、357号艇と共に戦闘を繰り広げたチャムスリ358号艇もまた北朝鮮軍の攻撃に直ちに対応射撃を行った、という証言が新たに追加されたことが13日に確認された。

 第2延坪海戦は2002韓日ワールドカップ3・4位戦が行なわれた2002年6月29日午前10時25分、NLL(北方限界線)を侵犯した北朝鮮軍の警備艇「登山串684号」(215トン)の奇襲先制攻撃で始まった。北の警備艇を防ぐため韓国海軍の高速艇232編隊(チャムスリ357号・358号艇)が出動した。

 しかし北朝鮮は、357号艇だけを集中的に攻撃した。登山串684号は357号艇に向けて対戦車ロケット砲のRPG7と85ミリ・37ミリ砲、14.5ミリ機関銃を奇襲発射した。357号艇長の故・尹永夏(ユン・ヨンハ)少領(少佐に相当。当時は大尉)が敵の砲弾に倒れた。チョ・チョンヒョン上士(曹長に相当)、ファン・ドヒョン中士(軍曹に相当)、ソ・フウォン中士も対応射撃を行ったが亡くなった。医務兵の朴東赫(パク・トンヒョク)兵長は戦友たちに応急手当を施していて重傷を負い、病院に搬送されたが、84日後に死亡した。韓相国(ハン・サングク)上士(当時は下士〈伍長に相当〉)は、操舵室が攻撃を受けた際、手動操作の舵をつかんだまま戦死した。357号艇は敵の銃・砲弾258発を浴び、曳航中に沈没した。乗船していた海軍将兵28人中6人が戦死した。

 当時、韓国海軍は357号艇が40ミリ砲と20ミリ・バルカン砲で直ちに対応射撃を行ったと発表した。戦闘後の軍当局のブリーフィングでも、357号艇の被害と対応についての内容が主体だった。しかし358号艇の対応については特に発表がなかった。357号艇と違って被害がなく、負傷者もほとんどいなかったからだ。韓国海軍の内部では「358号艇は北朝鮮軍にきちんと対応できなかった」という話が出ていた。一部のメディアは「被害を受けていない358号艇は戦闘にきちんと参加していないという疑惑も出た」と報じた。韓国海軍の関係者は「20年以上にわたり、358号艇の乗組員は『任務を十分に遂行できなかった軍人』『傍観者』のレッテルを張られていた」と語った。

 しかし韓国海軍は昨年5月から9月にかけて、358号艇乗組員9人(現役6人、予備役3人)に当時の状況についての証言を再度聴取した。保守系野党「国民の力」に所属する庾竜源(ユ・ヨンウォン)議員のオフィスを通して本紙が入手した「第2延坪海戦証言録」には、358号艇乗組員たちが交戦開始直後から対応射撃を行い、わずか15秒から30秒で北朝鮮警備艇に砲弾を命中させたという内容が含まれていた。

2025/08/23 07:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/08/18/2025081880015.html

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