第2次世界大戦が終盤に向かっていた1945年8月6日と9日、米軍が日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した。実戦に使った人類初の原子爆弾だった。両都市にいた韓国人4万人が死亡したものと推定された。被爆したが生き残った生存者3万人のうち、2万3千人は解放された祖国に戻ったが、韓日政府の無関心の中で病気と貧困に苦しみ、一人また一人と亡くなっていった。8月29日現在、生存している韓国人原爆被害者(被爆者)は1577人。
日本政府が認めた韓国人被爆者は1994年から医療費を日本政府から支援され、日本政府が認めていない被爆者は2016年に原爆被害者支援特別法(韓国人原爆被害者支援のための特別法)が制定され、韓国政府が支援できるようになった。被爆71年目のことだった。しかし、遺伝子継承と推定される病で闘病する被爆2世、3世は、依然として医療支援を受けられずにいる。医療費支援対象を2、3世まで拡大する原爆被害者支援特別法改正案が国会に提出されたが、いまだに日の目を見ない状態だ。米国・日本政府の公式の謝罪と賠償はなかった。これに対し、国際市民団体・社会団体が米国の公式謝罪と賠償を要求する民間法廷の推進に取り組んでいる。いわゆる「原爆国際民衆法廷」だ。
民衆法廷は、若くして亡くなった韓国原爆2世患友会の初代会長だったた金亨律(キム・ヒョンニュル)さん(2005年死去)の遺言から始まった。金さんは生前、「米国から必ず謝罪を受けてほしい」と語っていた。金さんの父親と原子爆弾被害者のシム・ジンテさんらは、2015年5月、市民団体「平和と統一を開く人たち(サラム)」(略称:平統サ)に米国での法廷訴訟の可能性を検討してほしいと要請した。さらに、韓国原爆被害者協会は2019年8月、同団体に民間法廷の推進を依頼した。
昨年6月、日本の広島で民衆法廷国際組織委員会が発足した。カン・ウイル元韓国カトリック司教会議議長、平岡敬元広島市長、カトリック米国ニューメキシコ州サンタフェ大司教区のジョン・ウェスター大司教が共同議長を務めた。平統サと米国の弁護士であり元検事であるブラッド・ウルフ氏が民衆法廷の実務を担当する。
民衆法廷は、1945年に原子爆弾を使用した米国の責任を問うための民間主導の司法的手続きだ。国際法に沿って米国を公式な法廷に立てようとしたが、原爆投下を命令した指揮者が死亡しているため難しいと判断し、民間模擬法廷を開こうとしている。法的実効性はないが、米国の有罪を引き出し、韓国の原爆被害者に対する米国の公式謝罪と賠償を受ける最初の一歩にしようとしている。ひいては核兵器保有と使用を禁止する国際規範の強化に貢献するという主旨だ。
原告は韓国人原爆被害者たちだ。被爆1世が6人、2世が6人、3世が1人の計13人。金亨律さんの兄も、亨律さんに代わって原告名簿に名を連ねた。彼らは民衆法廷に立ち、広島・長崎への核爆弾投下は不法だと主張し、米国政府の公式謝罪と賠償を求める。
原告らの弁護人は、ローザンヌ大学国際法教授であり弁護士のダニエル・リエティカー氏ら4人。被告は米国。米国側の弁護人は交渉中だという。裁判部は5人構成となり、米国2人、ソマリア1人、韓国1人で、1人は交渉中。国際的な関心を考慮し、多くの国の法曹人と国際法学者に委嘱する。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメリッサ・パーク事務局長も、慶尚南道陜川郡(ハプチョングン)を先月13日に訪問した際、原告らを支援するという意思を平統サに明らかにした。陜川は韓国の原爆被害者が多く住んでいることから「韓国の広島」と呼ばれている。
民衆法廷は来年11月、国連の核兵器禁止条約に関する第1回検討会議が行われるニューヨークの国連ビルの近くで開催される予定だ。裁判部は事前に原告・被告側の弁護人が提出した書類を検討する。法廷が開かれる日に双方の最終弁論を聞き、国際法の専門家や、世界の市民・社会団体の関係者などの意見も聞く。すべての陳述が終わったら裁判部は判決文を読み上げる。米国は有罪を受けるものとみられる。判決文は、米政府と核兵器禁止条約検討会議の議長団に送られる。
平統サのオ・ヘラン執行委員長は「民衆法廷は1945年の米国の原爆投下の不法性を確認し、米国の謝罪と被害者賠償を求める民間レベルの最初の国際法廷だ。原爆被害者のうち、生存者はもうわずかだ。生存者が生きている間に、彼らの積年の苦しみを国際社会で晴らし、法的保護を受けられない被爆2世、3世に対する国際社会の関心を促したい」と語った。
2025/09/18 09:14
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