1970年代に米国に搬出された朝鮮後期の文集版木3枚、韓国へ帰還

投稿者: | 2026年2月9日

1970年代初頭に韓国の機関で勤務していた米国人たちが、記念品として購入して本国に持ち帰っていた朝鮮後期の主要な文集冊板(版木)計3点が、所蔵者たちによって寄贈されて韓国に帰還する。

国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は8日(現地時間)、米国ワシントンD.C.にある駐米大韓帝国公使館で、『拓庵先生文集』冊板、『宋子大全』冊板、『樊巌集』冊板各1点を、米国人および在米同胞の所蔵者から寄贈を受けたと発表した。

 このうち『拓庵先生文集』冊板(1917年刻板)は、乙未義兵(1895年)当時に安東(アンドン)地域の義兵長として活躍した金道和(キム・ドファ)先生(1825〜1912)の文集冊板1点だ。当初は1000点余りあったが、現在は数十点が確認されている。1970年代初頭、米国連邦機関である国際開発庁(USAID)韓国支部で働いていたアラン・ゴードン氏(1933〜2011)が、韓国の骨董品店から買い取った後、米国へ持ち帰った。2011年にゴードン氏が亡くなった後、夫人が保管していたが、昨年スミソニアン国立アジア美術館に寄贈の意思を明らかにし、協議を経て財団の米国事務所へと引き渡されることになった。

『宋子大全』冊板(1926年刻板)は、朝鮮後期の儒学者、尤庵(ウアム)宋時烈(ソン・シヨル、1607〜1689)の文集や年譜などを集めて作られたもので、1787年に初めて刊行された。1907年に日本軍によって冊板の全量が焼失したが、1926年に宋時烈の子孫と儒林(ユリム)たちが復刻し、現在は1万1023点が残っている。ゴードン氏は韓国勤務当時に1点を購入し、米国の妹アリシア・ゴードン氏に贈ったが、今回『拓庵先生文集』と共に返還された。

『樊巌集』冊板(1824年刻板)は、朝鮮後期の文臣官僚であり、英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)時代の国政を共に導いた核心人物だった樊巌(ポナム)蔡済恭(チェ・ジェゴン、1720〜1799)の文集冊板で、全体1159点のうち358点のみが現存している。この冊板もまた、1970年代初頭に韓国で勤務していたある米国人が韓国の骨董商から購入して米国へ持ち帰り、在米同胞のキム・ウネ氏(米国バージニア州在住)一家に贈ったものだが、今回、財団米国事務所側の寄贈提案にキム氏が快く応じ、帰還することとなった。

これに先立ち韓国では、305の門中(始祖が同じ父系血縁集団)や書院などから寄託された718種・6万4226枚の冊板が「韓国の儒教冊板」としてまとめられ、2015年にユネスコ世界記憶遺産に登録されている。ここには儒学者たちの文集583種、性理書52種、家系図・年譜32種、礼学書19種、歴史書18種、訓蒙書7種、地理誌(地図)3種、その他4種が含まれた。今回寄贈された『樊巌集』と『拓庵先生文集』は、文集583種に属するものと同じ遺物である。

今回還収された冊板3点は、両端の「マグリ(持ち手部分)」が原型から交換され、記念品のように加工されているのが特徴だ。財団関係者は「本来の冊板のマグリは無骨だが、加工された木材に交換して両端に金属装飾を施し、円形のリングを取り付けて壁に掛けられるようにしてある」と説明した。墨を付けて文字を印刷していた部分にも金銀の彩色が施されており、文化商品の公的な雰囲気を与えている。

国家遺産庁は「当時、関連法が整備される前に国内で盗難または紛失した冊板の一部が、記念品に姿を変えて外国人に販売されることがあった」とし、「1970年代の文化遺産国外搬出の実態と様相を理解する上で重要な手がかりを提供する」と意味を付与した。国家遺産庁と財団は、同様の事例が他にないか調査に乗り出す方針だ。

一方、国家遺産庁はこの日、ワシントンの在米国大韓民国大使館領事部ビルに「大韓民国初の大使館」であることを知らせる記念銅板を設置する。駐米大使館領事部ビルは、大韓民国政府が1949年に世界で初めて大韓民国大使館を設置した場所だ。国家遺産庁が国外の文化遺産に記念プレートを設置するのは、2021年の在米大韓帝国公使館、2023年の在英大韓帝国公使館に続き、今回が3例目となる。

2026/02/09 15:53
https://japanese.joins.com/JArticle/344603

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