[山口二郎コラム]高市政権と憲法体制の危機

投稿者: | 2026年5月26日

 アメリカによるイラン攻撃の終わりは見えない。石油供給の制約により、世界経済の前途には暗雲が垂れ込めている。しかし、世界中で日本の政府だけが、不安を否定し、通常の生活を続けるよう呼びかけているように思える。ガソリンと軽油に対する補助金は継続され、政府は節約を呼び掛けるつもりはない。実際に、石油と石油由来の化学製品の不足は様々な経済活動に悪影響を与えている。これに危機感を持つように訴える論者に対しては、インターネット上で高市早苗首相を支持する人々から攻撃が浴びせられている。第2次世界大戦の末期、日本の敗勢が明らかになっても、当時の政府はそれを認めず、国民に虚偽を垂れ流した。これを大本営(戦争の指令本部)発表と呼ぶ。現在の高市政権も、石油危機に関しては大本営発表を繰り返している。

 政府が国民の不安や不満を抑え込もうとしている理由は、政権に対する支持を持続したいためであろう。各種の世論調査によれば、物価高に不満を持ち、経済対策を求める声は大きいが、内閣支持率は依然として60%程度で推移している。

 大本営発表のねらいはそれだけではないと私は考える。高市政権は、国民にとって切実な政策課題よりも、国家主義、あるいは権威主義の考えに沿った政策転換を最優先課題に据えているように見える。国の形そのものを改変する企てと言ってもよい。現在の国会の会期で与党は皇室典範改正を実現しようとしている。さらに、憲法改正についても具体的な条文を作ることを主張している。そのための環境づくりには、経済不安が高まることは好ましくない。

 皇室典範改正とは、今後の天皇候補者を確保するための制度改変である。今までは、男性の皇子しか天皇になれなかった。しかし、現天皇とその弟の子どもの世代の男性皇子は一人しかいない。世論調査によれば、国民の過半数は女性天皇も受け入れる用意がある。しかし、高市首相を含む自民党や保守的な政党には男性優位という思い込みを守るため、女性天皇の可能性を否定しようとする動きがある。そのために、かつて天皇家の遠い縁戚であった家柄の男性を天皇家に養子に迎えることを可能にするのが、皇室典範改正の主眼である。

 一般に王室の正統性は血統にある。それに加え戦後日本の場合、明仁天皇(現在の上皇)が憲法の理念と戦後日本の平和国家路線を擁護することを折に触れて表明したことで、皇室に対する国民の共感は高まった。ここで突然、戦前のような男性優位・女性蔑視のドグマで天皇制を再編しようとする試みについて、国民的合意は存在しない。

 現在の憲法改正論議の最大のテーマは、緊急事態法制の整備である。自民党は、大災害やパンデミックの際に衆議院議員の任期を延長すること、緊急事態に対応して内閣に法律と同等の効力を持つ緊急政令を発布する権限を与える条文案を提示した。実は、その種の緊急事態に対しては、災害対策基本法など既存の法律で政府に強い権限が付与されている。特に憲法改正がなければ問題に対処できないというわけではない。また、憲法は参議院の緊急集会という規定を用意し、衆議院が空白の場合でも国会が対応できるようにしている。この憲法改正論は、緊急事態の名を借りて、内閣に巨大な権力を与えるとともに、国会議員の居座りを許すことも目指すものと言わなければならない。

 改憲派は、日本の伝統にふさわしい憲法をつくるべきと主張する。しかし、憲法制定から80年が経過し、現在の憲法は今の日本人にとっては伝統となっている。それをわざわざ変更するという彼らの主張は、日本の抱えている問題を解決する現実的な発想ではなく、憲法改正をそれ自体として目的とする観念的な主張である。

 高市首相は、2月の衆議院選挙に際して、国論を二分するような争点にも果敢に取り組みたいと言った。しかし、選挙の前にはその争点が何なのか、具体的に語らなかった。そして、衆議院で改憲発議に必要な3分の2以上の議席を得た今、憲法や皇室典範の改正に躍起になっている。彼女が実際にしているのは、あえて国民の意思と政府与党の意思を二分させることである。政府と国会は、国民にとって切実な具体的な課題に取り組むべきである。

山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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