在韓米軍のブランソン司令官が5月22日、「中国から東部海岸の外側を眺めると、韓国はアジアの中心に突き刺さった短剣(ダガー)のよう」だと述べたという話を聞き、自然に頭に浮かんだのは、明治時代の日本を代表する天才、井上毅(1843~1895)だった。井上は参事院議官を務めていた1882年9月17日に書いた『朝鮮政略』で、朝鮮半島を「日本の頭上に懸けた刃」だと表現した。近代日本人の安全保障思想に決定的な影響を及ぼすことになる「利益線」という概念を作り出した第3代・第9代内閣総理大臣の山県有朋(1838~1922)も同じく、1890年3月に出した『外交政略論』で、「朝鮮多事なるの時は即ち東洋に一大変動を生ずるの機なる」(朝鮮で多くの出来事が起こると、東洋一帯に大変動が生じるきっかけになる)という懸念を記した。
この2人の明治人が朝鮮半島の「地政学的な重要性」を強調した理由は、比較的明瞭だった。極東までじわりじわりと領土を拡大したロシアが、「力の空白」に乗じて朝鮮半島まで南下する可能性があると考えたからだ。井上は、不幸にもロシアが朝鮮を奪う場合、東洋の大勢は完全にどうすることもできなくなるだろうと主張し、山県も同様に、シベリア鉄道が完成すれば、ロシアの首都を出発してから十数日で、馬に黒竜江の水を飲ませることができるようになると心配した。つまり2人の「短剣論」は、実際に短剣を握ることができなかった日本が、ロシアという「恐るべき強大国」が朝鮮半島を手に入れることになれば、自分たちも枕を高くして眠れなくなるという現実を指摘した「防衛的な」問題提起だった。実際に短剣を握り、西海(ソヘ)で中国を刺激する飛行訓練を辞さないブランソン司令官の「攻撃的短剣論」は、「刺す」と「刺されるかもしれない」の違いほど、別の話だと評せる。
井上が朝鮮半島の運命を深く懸念することになった決定的なきっかけは、2カ月前の1882年7月に発生した壬午軍乱だった。朝鮮の内政が乱れ、旧式軍人に期日通りに俸給が支払われなくなると、ソウルの日本公使館にも大きな被害が及ぶ惨事が発生した。怒った日本は朝鮮の「無礼」をただすために、大規模な部隊を派遣し、清も同様に出兵した。現地で朝鮮の弱さを目撃した井上は茫然自失となった。強靭な政府が朝鮮を統治していたならば、亡国へと至るわれわれの近代史の悲劇は起きなかっただろう。
6月17日(現地時間)に公開された米国とイランの終戦に関する覚書(MOU)を読むと、米国のグローバル・リーダーシップが機能していた時代が終わったことを痛感する。衰退した清が1885年に袁世凱(1859~1916)という名の若者を朝鮮に派遣し、内政干渉を強化したように、米国も同様に、トランプ関税や防衛費増額、「クーパン事態」をめぐる強硬な圧力など、自国の利益を最大化するために、統制と圧力の手綱をきつく締めている。「極右」と目される韓国系のスティール氏が駐韓米国大使として赴任すれば、この傾向はさらに加速することになるだろう。
非常に興味深い事実は、こうした状況下で、米中の間に奇妙な緊張緩和の流れが観察されることだ。両国の首脳は5月14日、北京で「建設的な戦略安定関係」を構築していくことで合意し、米国防総省は6月16日、ハワイに置かれているインド太平洋司令部の名称を元の「太平洋司令部」に戻した。中国の習近平国家主席は2013年6月、米国に「新型大国関係」を要求し、「太平洋は2つの大国を包み込めるほど広い」と語った。トランプ政権は「対中包囲」のために策定したインド太平洋戦略を廃棄し、この要求をある程度は受け入れることを決意したようにみえる。
結局のところ、トランプ政権下の米国は、中国との直接衝突を避け、対中けん制の負担を韓国や日本などの域内同盟国に押し付ける「オフショア・バランシング」を追求していくことになると予想される。そう考えると、ブランソン司令官が言及した「短剣」の実体は、在韓米軍ではなく、韓国軍自身になる可能性がある。韓国政府はそのような状況を避けるために、戦時作戦統制権の移管を急ぐなど、「戦略的自律性」の確保のためにあがいているようにみえるが、その過程で余計な難癖をつけられると、「高宗廃位」などを主張した袁世凱の時代のように、悲惨な結果を招きかねない。
「手で触れずに鼻をかみたい」という衰退した覇権国と、その前でどう振る舞うべきか分からない下位の同盟国、まさにこれこそが、最近世間で騒がれている、いわゆる「同盟の危機」の実体ではないかと思う。強靭な政府であるなら、耐えるべきことには耐え、受け入れるべきことは受け入れていきながら、耐え抜いていかなければならない。そうでなければ、ここで国運が尽きることさえあり得る。
2026/06/24 05:34
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/56671.html