乙巳条約が結ばれた徳寿宮に……安重根義士の「最後の叫び」が帰ってきた

投稿者: | 2026年8月14日

中国製の半切紙(縦135.4センチ、横32.3センチ)に滝のように勢いよく書き下ろされた8文字「万国公法不如大砲」。朝鮮侵略の元凶、伊藤博文(1841~1909)を殺害した罪で死刑判決を受けていた安重根は「万国公法(国際法)は大砲には及ばない」という悲憤慷慨をこの書に込めた。左側の余白には、「庚戌年(1910年)3月、旅順監獄にて大韓国人・安重根が記す」という文言と、薬指を切断した左手の手印が鮮明に残されている。殉国から116年を経て日本から戻り、光復(解放)81周年を迎えた大韓民国のもとで公開された安重根(1879~1910)義士の遺墨だ。

13日、ソウル市中区の徳寿宮(トクスグン)重明殿で報道陣に公開された「万国公法不如大砲」(以下「万国公法」)は、これまでその存在自体が知られていなかった。国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は昨年5月、日本にこのような遺墨が所蔵されていることを把握し、所蔵者との交渉を経て昨年末に韓国国内に持ち帰った。売却者はこの遺墨を競売で購入したという。

 遺墨の裏面に残された記録によると、最初の所蔵者は旅順監獄の刑務所長、栗原貞吉(?~1941)だった。栗原はいくつかの逸話を通じて、安重根義士の収監中に人道的な配慮をした人物として知られている。その後、これを「平門狂生 雷峽逸人」と名乗る人物が譲り受けたとされる。これは「平氏の家系の後裔で、世俗的な利益や権力にとらわれない人」という意味だ。平氏は「安重根の心情を哀れに思い、これを表装して保存する」と記している。

安重根義士は死刑判決を受けた1910年2月から殉国日の3月26日までの間に200点余りの遺墨を残したとされている。現在、国内外で確認されているのは約60点。昨年は「長嘆一声 先弔日本」と「緑竹」が、2024年には「人心朝夕変 山色古今同」と「龍虎之雄勢 豈作蚓猫之態」がそれぞれ日本から購入されて韓国に持ち込まれたが、一部は真贋をめぐる論争もあった。

この日の公開会では2022年に宝物に指定された「日通清話公」も並べて展示され、比較説明に活用された。専門家らは両作品に共通して見られる「公」の払いのほか、行書と草書を混ぜて書いたような書体の類似性や作品の余白の款識構成などを強調した。特に決定的な証拠となったのが、手印の指紋と手相だ。国家遺産庁のチョン・ジェギュ専門委員(常勤)は「2019年に庁では安重根義士の遺墨の特徴をデータベース(DB)化し、2022年に5点を一括して宝物に指定した際にもこれを活用した。今回の作品の鑑定にも同じ方法を適用した」と明らかにした。安重根義士の遺墨は1972年に初めて19点が宝物に一括指定され、その後、順次追加されて現在では31点が宝物となっている(うち1点は所在不明)。

京畿大学書芸学科のチャン・ジフン教授は「今回の作品は殉国の数日前に書かれたものとみられる」とし「世界列強の情勢を痛感し、悲憤慷慨の心情を込めた傑作」と評価した。買入評価委員会に参加した韓国文献文化研究所のパク・チョルサン所長は「裏面の墨書により所蔵・伝承の経緯が明確であり、内容、款識、書体、手印などを総合的に判断すると、これまでに発見された安重根の遺墨の中でも内容・書法の両面で最も完成度の高い真作」と述べた。

この日、「万国公法」が公開された徳寿宮重明殿は、1905年11月17日に伊藤博文らが立ち会う中で乙巳条約が締結された場所だ。国家遺産庁は返還された「万国公法」を当面の間、国立古宮博物館で管理する方針だ。

2026/08/14 13:31
https://japanese.joins.com/JArticle/353571

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