「小学校に行ったら、(原爆による)ケロイド(皮膚から盛り上がった傷跡)姿の先輩たちが何人もいました。父兄はわからないから『うつるから近寄るな』と言っていました」
9日に亡くなった「日本プロ野球(NPB)の伝説」、故張勲(チャン・フン、日本名・張本勲)さんが生前、ある日本の放送局のインタビューで語った言葉だ。日本国内だけで3000安打を達成した唯一の打者だった張さんが、5歳の時に被爆した経験を語った際の発言だ。被爆者に対する差別を身をもって経験した彼は、60歳になってようやく自身の被爆事実を公表した。
1940年生まれの張さんは、在日2世として、日本プロ野球で2572試合に出場し、歴代最多となる3085安打を記録した。通算打率0.319、504本塁打、1676打点を記録し、「伝説」と呼ばれている。入団初年度に新人王を獲得するなど、選手生活の中で7度、打撃王に輝いた。1990年には、日本で「野球殿堂入り」を果たした。
日本野球界の伝説である張さんは、5歳だった1945年、第二次世界大戦末期に広島に投下された原子爆弾の被爆者でもあった。張さんは生前、自身を「原爆手帳(被爆者健康手帳)を持つ唯一のプロ野球選手」と言っていた。実際、1945年8月6日午前8時15分頃、米軍が「エノラ・ゲイ」と名付けたB-29爆撃機から、原子爆弾「リトル・ボーイ」が広島に投下された。爆心地周辺の地表温度は摂氏3000度に達し、その年の終わりまでに原爆関連の犠牲者は14万人に達した。当時、投下地点だった広島中心部の太田川にある相生橋は、張さんの自宅から東へ約2キロメートル離れた場所にあった。張さんは当時、その惨状についてTBSに次のように語った。
「友達と遊ぼうと思って、(家の)引き戸を引いて出た瞬間、本当にピカーと光ってドーン。これが広島で言うピカドンです。絶叫、叫び声。苦しいんでしょうね。辛いんでしょう。私たちの前に何十人も走って、近くのどぶ川に飛び込むんですよ。全部死んだそうです」。 張さんは一命を取り留めたが、爆心地近くにいた姉は亡くなった。チャンさんは家に運ばれてきた姉について、「顔も体も焼けただれていた」とし、「(ブドウの粒を)とって口元に当てるが、水(果汁)が出たか出なかったか記憶がない」と、辛い経験を振り返った。
張さんは60歳になるまで被爆の事実を隠していたが、その後「反核の伝道師」としての活動で注目を集めた。それまでは原爆症を持っていると思われるのが嫌だった上、幼い頃、被爆者が差別されるのを目にしてきたため、口を閉ざしていたという。
張さんは「『ひょっとしたら私もそのうち原爆症がでるんじゃないか』と、プロ野球選手だったけど、常にその思いは消えなかった」とし、「咳をしたり、ちょっと胃がおかしいなと思うと、やっぱり原爆症を思い出す。それが怖かった」と打ち明けた。しかし、若者が「戦争を知らない」、「(原爆が)どこに落ちたの」と言うのを聞き、少なからぬ衝撃を受けた。張さんは「(当時の状況を) 若い人にもちゃんと語り継いでいかないといけない」とし、核の惨状を伝えることに積極的に乗り出した。
毎日新聞11日付で、張さんが亡くなる4日前に電話インタビューに応じ、「核兵器は全世界でなくさなきゃダメだ」とし、「武器で殺し合うような戦争は、絶対にやってはいけないんだ」と、いつものと変わらない熱のこもった口調で繰り返しと報じた。特に張さんは、日本の高市内閣が最近、「非核三原則」(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)を揺るがす動きを見せていることに関連し、「持ってはいけないものは持ってはいけない」とし、「日本だけでなく、全世界が、だよ」と語った。張本さんは同紙との過去のインタビューで、「『地球上から核兵器がなくなった』という一言を聞いて息絶えたいんだ」と訴えたこともある。
日帝強占期(日本の植民地時代)に日本で生まれた張さんは、長期間にわたり在日コリアンに対するひどい差別を経験したこともある。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館のウェブサイトに公開された体験記の中で、チャンさんは「母に『朝鮮人をあざける人間こそ下等なんだよ』といわれてから、わたしは売られた喧嘩は必ず買って、相手をやっつけるようになった」とし、 「こっちから喧嘩をしかけることは絶対なかったが、自分の目の前で韓国人の仲間が日本人にいじめられているのを見ると、もう我慢ができず“助っ人”をかって出て、相手を叩きのめした」と明かした。すでに中学生の頃、日本人高校生を通り越して、ヤクザまでも喧嘩の相手にしたという。張さんは「このまま喧嘩を続けていれば、きっと“仁義なき戦い”のヤクザか何かになっていただろう。その“悪の道”からわたしを救ったもの、それが野球だった」と語った。
しかし、張さんは晩年に日本に帰化し、国籍を変えた。張さんは2024年、産経新聞とのインタビューで、数年前に国籍を変え、現在は日本国籍だと明かした。その1年前、韓国メディアとのインタビューでは、韓日関係について「私は日本人ではなく在日韓国人だから、(韓国は)私の祖国だから言う。いつまで日本に『謝罪しろ』『金を出せ』と繰り返さなければならないのか」という発言で物議を醸したこともあった。朝鮮日報日本語版の当時の記事によると、チャンさんは「当時は弱肉強食の時代で、韓国は弱かったから国を奪われた」とし、「これからは韓国もプライド(自負心)を持って日本と対等に手を取り合い、隣国としてやっていけばいいのでは」と語った。
2026/09/11 18:21
https://japan.hani.co.kr/arti/international/57151.html