2泊3日で家族になった…「また来てけさいん」「今度は絶対韓国で会おう」 韓国人大学生が宮城県南三陸町でホームステイ

投稿者: | 2024年8月14日

 7月16日、日本の東北地方に位置する宮城県の南三陸311メモリアル。朝早く母と手をつないで同地を訪れたゆうた君(10)、だいち君(8)、ちひろちゃん(6)兄妹が泣き出した。この地域の南三陸町にある兄妹の家で2泊3日にわたって一緒に過ごした韓国人大学生の「お兄さん」たちを乗せて出発するバスが到着すると、別れ惜しさで涙を見せた。次男のだいち君は大学生のパク・スンウォンさん(26)、リュ・チェウさん(24)、イ・チャンヒョンさん(21)に「今度は絶対韓国で会って、一緒にキャッチボールしようね」と固い約束をした後、バスが見えなくなるまで手を振りながら涙を拭った。

 リュさんに3日で子どもたちの心をつかんだ秘訣(ひけつ)について聞いてみたが「これと言ってしてあげられたことは何もない。よく分からない」と言った。短い時間で子どもたちとこれほどまでに親しくなるとは思わなかったと言うリュさんは「床に座ってゲームをし、一緒にご飯を食べ、夜になると花火をしていたら、いつのまにか実の弟のように親しくなった」とし「この村では20代のお兄さんたちをめっきり見掛けなくなったせいか、子どもたちが別れを惜しんでいるようだ」と話した。日本を離れる前に子どもたちからもらった手紙には、くねくねとした字で「いろんな遊びを教えてくれてありがとう。だいちより」と書かれてあった。

 3兄妹の故郷である南三陸は、仙台空港から車で約2時間も離れている人口約1万1000人の田舎町だ。観光地どころかコンビニに行くにも30分は歩かなければならないこの小さな町に、どうやって韓国人大学生たちが訪れたのだろうか。

 駐韓日本大使館が、同地域の観光協会による村の活性化のためのホームステイ事業と韓国人学生をつないでくれた。寂しい村の高齢者の中から希望者を募り、審査を経て、ホームステイ先として指定。問題なくホームステイが終了すれば所定の報酬を支援する。この村だけで約20世帯がこうしたホームステイ先に指定されており、全ての家庭が同時に学生を受け入れれば計50人程度を宿泊させることができるという。同日、ここでもリュさんのほかに約30人の韓国人大学生が日本の家族と涙のお別れを告げた。

 この出会いが特に意味深かったのは、同地域が2011年の東日本巨大地震の時、津波で大きな被害を受け、傷痕を抱えている村だからだ。当時、日本全国で集計された死亡者数(1万9759人)のうち53.4%(1万569人)が宮城県で発生し、まだ家族の元に戻っていない行方不明者も1000人を超えている。小さいながらも活気に満ちていた漁村の南三陸も一瞬にして廃虚となり、若者たちは村を去っていった。約10年間復旧にまい進した結果、物理的な災害の痕は消えたものの、津波で家族を失ったり、家が流されたりした人々は、いまだに災害へのトラウマを抱えている。

2024/08/14 08:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/08/08/2024080880133.html

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