敗北を認めてサッカー強豪国に成長…イタリアが失い日本が得たもの【寄稿】

投稿者: | 2025年4月21日

 韓国と日本の代表チームは2022年カタール・ワールドカップ(W杯)で共に決勝トーナメントに進出したものの、それぞれブラジルとクロアチアに敗退した。しかし、その後、大韓民国のサッカーはクリンスマン監督、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督や協会長を巡るリーダーシップ論議により無駄な時間を過ごすこととなった。

 韓国代表チームがW杯予選で期待以下のパフォーマンスと成績で失望を抱かせる中、日本は世界で真っ先に2026W杯本大会行きのチケットを手にした。日本代表チームの現在のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは15位だ。

 2022年、決勝トーナメント1回戦でPK戦の末に苦杯を飲んだ日本は、ドレッシングルームをきれいに整頓し、結果に対する承服と折り鶴、感謝のメッセージを残した。FIFAはこの様子を公式アカウントで共有し「試合よりも感動的な瞬間」と評した。日本は敗れたものの、共同体の信頼を得ることになったほか、その姿勢は次回を準備する勝者の条件が何であるかをよく物語っていた。

 それ以降、日本代表チームは強くなった。日本サッカー協会(JFA)は森保一監督を留任させ、長所を引き継ぐとともに、敗戦の原因を徹底的に分析した。「ボールをキープしながらもチャンスの質」を重視する競技哲学に方向を旋回し、ビルドアップのスピードとハイプレスの強度を高めながら、ショートカウンターと有機的なプレッシングに焦点を合わせた戦術再構築を断行した。

 カタール大会でボールをキープしながらも、決定的な瞬間を逃した経験を反映した結果だった。敗北を受け入れる姿勢は代表チームだけでなく、基礎から幼少期の育成システムを点検するなどシステムの改善を行い、次の勝利を準備する組織に進化することを可能にした。

 これとは対照的に、2002年韓日W杯で韓国に敗れたイタリアは結果を受け入れられないまま、集団的怒りに身を任せた。政治家とマスコミはFIFAを猛烈に批判し、数年間にわたって「被害者フレーム」内にとどまった。内部改革よりは「審判のせい」、「運のせい」、「政治のせい」にするなど、外部に向けられた非難にエネルギーを消耗した。

 その結果、指導者育成や幼少期のシステム改善におけるタイミングを逸したほか、伝統的な守備中心の戦術に安住し、停滞、後退した。2010年、14年のW杯ではグループリーグで敗退し、18年と22年は本選進出さえ逃してしまった。次の試合に備える力を失った結果だった。

 これらのケースは一つの質問を投げ掛けている。「敗北はわれわれにとって、どうあるべきか」

 スポーツにおいて勝利と敗北は必然の一対だ。繰り返される勝負の中で、誰もが敗北を経験するものだ。しかし、敗北を受け入れる姿勢によって共同体が持続する可能性に変化が生じる。

 勝敗を分ける過程は制度と規則に基づいているが、その運用と判定に人間という変数が入り込むため、その結果は完璧とは言えない。大リーグのチャレンジ制度やサッカーのVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)、国際スポーツ仲裁裁判所(CAS)など、判定のための2次的補完装置が存在しているにもかかわらず、機械的完結性を備えた結論の導きは期待し難い。そのため、不完全さを認めながらも、手続きによる結果を尊重する姿勢こそスポーツ精神であり、共同体を維持する基盤と言える。悪い結果を受け入れたがる人はいない。しかし、これに対してどのような姿勢を見せるかが、あるいは勝負そのものよりも重要な試験なのかもしれない。

2025/04/21 07:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/04/19/2025041980004.html

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