「強風と荒波で数百年前の通信使が感じたはずの恐怖を実際に経験したが、各地で会った人たちのおかげで無事に大阪まで到着した」(ホン・スンジェ学芸員)
13日、大阪港ATC埠頭に停泊する五色丹青で彩られた木造船の甲板の上では「正」という赤い文字が入った青い旗がはためいた。朝鮮通信使の団長にあたる正使を乗せた船という意味だ。国家遺産庁国立海洋研究所が考証・製作したこの再現船は先月28日に釜山(プサン)を出発し、半月かけて回路840キロを航海した。1763-1764年の朝鮮通信使第11次使行当時の釜山-大阪航路を261年ぶりに再現したのだ。船は対馬と壱岐、下関、呉、福山などを経て11日に大阪に到着した。
13日に埠頭で開かれた入港記念式では大阪市の高橋徹副市長と市民およそ250人が歓迎した。兵庫県出身で福山から船の旅程を車で追ってきたという女性(62)は「数百年前のように到着するすべてのところで『ようこそ』と言いたくて追ってきた」と話した。船はこの日、一種の船上博物館のように公開され、各地から来た乗船体験団が船室を見て船上公演を鑑賞した。大阪居住のある女性は「日本と韓国の交流の中心になった通信使船に実際に乗ってみて不思議な感じがする。伝統の船は本当に美しい」と語った。
今回の再現航海は韓日修交60周年と2025大阪・関西万博に合わせて企画された。朝鮮時代には各使行ごとに正使船を含む計6隻の船が400-500人を乗せたが、今回の航海には船舶の製作を主導したホン・スンジェ学芸研究士(54)をはじめ、カン・ウォンチュン学芸員(41)、キム・ソンウォン船長(41)ら8人が乗った。これに先立ち再現船は初年度の2023年には対馬まで、昨年は下関まで航海し、今回初めて瀬戸内海を通過した。
この過程で瀬戸内海伝統航海協会の原康司代表と50年の経歴を持つ航海士の支援があった。原代表らの7トン規模の漁船が下関から大阪まで12日間、再現船を500メートル前で誘導した。朝鮮時代に日本で船頭が出迎えて通信使船を日本海域まで導いたのと似ている。キム・ソンウォン船長は「瀬戸内海は予想以上に大変で、原船長が水深や接岸位置、障害物の位置などを詳細に知らせてくれた。船首側の部品が破損する事故もあったが、これも夜中に修理が終わり心強かった」と伝えた。行事場所で会った原船長は「船員らが心を一つにして困難を共に乗り越えながら絆が強まるのを感じた。昔の通信使の船員たちもそうだったはず」と話した。そして隣国の韓国と日本の未来の関係について「親しくなるしかない。海はつながっているから」と語った。
ホン学芸員は「日本側の朝鮮通信使縁地連絡協議会が寄港地ごとに地元の組織力で歓迎行事を準備していて、交流の力を改めて感じた」とし「いつか日本伝統船が復元されて韓国を訪問する日を期待する」と話した。
高橋副市長は歓迎のあいさつで「通信使の歴史を再現する試みは日本と韓国が未来志向的な関係を構築するのにこの上ない役割をするはず」と述べた。崔応天(チェ・ウンチョン)国家遺産庁長は「朝鮮通信使船は韓日の国民の心をつなぐ飛び石」とし「世界の人に平和と尊重の精神を伝える意味深い行事になった」と話した。
この日、大阪万博の「韓国ナショナルデー」を迎えて、万博行事場所では朝鮮通信使の行列も再現された。万博会場を囲む超大型木造建築物「グランドリング」の間を50人余りの伝統服装行列(釜山文化財団主管)が吹打隊の演奏の中で1時間ほど行進すると、各地から来た観覧客が拍手を送った。万博の韓国館は「連結」をテーマにした3つの展示館とメディアウォールを運営中で、毎日1万人以上が訪問し、万博が終わる10月13日までに約120万人が訪れると見込まれる。
◆朝鮮通信使=壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後に江戸幕府の要請を受けて1607年から1811年まで朝鮮から日本に12回派遣された外交使節団。使臣団の人的・文化交流に拡大し、200年間ほど平和の使節の役割をした。2017年に「朝鮮通信使に関する記録物」がユネスコ世界記憶遺産に韓日共同で登録された。
2025/05/14 09:52
https://japanese.joins.com/JArticle/333735