売り上げ1.5億円から1050億円に…「漫画の国」日本を征服した韓国カカオピッコマの秘訣(1)

投稿者: | 2025年5月15日

始まりは200円だった。世界最大の漫画市場だがすでに100社以上が参入しているレッドオーシャンで有料漫画サービスを始めるといった時にはだれもが首をかしげた。だが2016年5月、200円で初めての決済がされた日、後発走者だったカカオピッコマの金在竜(キム・ジェヨン)代表は「チャンス」を見たと話した。会社の業績は夢のように急上昇した。事業初年度に1億5000万円にすぎなかった売り上げは昨年には1050億円を記録し2年連続で市場1位に上がった。彼は漫画の国日本をどのように「征服」したのだろうか。先月25日、東京で自らを「サービス屋」と呼ぶ彼に会った。

成功の秘訣を尋ねるとためらうことなく「切実さ」と答えた。「人それぞれに能力値があり限界点があるというではないか。だが切実な時はそれ以上を発揮するようだ。幼い時のことだ。大きな犬が1頭追いかけてきた。とても怖くて一気に大人の腰の高さのごみ箱の上にジャンプして飛び乗った。私の能力値以上にジャンプしたものだが(笑)切実だったのだ。改めて成功の秘訣の話をするならば、切実だったためだ。切実さというのは、結局誠意をつくすということではないだろうか」。

 彼がピッコマに合流したのは2015年4月。インタビュー前日は彼の就任10周年記念日だった。カカオのチョン・シナ代表が飛んできて花束とライオンが描かれた金の指輪、10年の記録が盛り込まれたアルバムなどのプレゼントを贈った。カカオから「最長寿経営者」のタイトルを付けられた彼は恥ずかしがった。

彼は質問が多い子どもだった。「幸い母がその多くの質問をみんな受け止めてくれた。振り返ればとんでもない子どもだった」と話す。大一(テイル)外国語高校を卒業し、慶熙(キョンヒ)大学で英文学と経営学を勉強したが、休みのたびに荷物をまとめた。アルバイトで少しでもお金が貯まれば海外に出かけた。そうして訪れた国は30カ国を超える。

最初の職場はプーマ。2002年の韓日ワールドカップで安貞桓(アン・ジョンファン)選手の靴を日本へ空輸してマーケティングを担当し彼は日本市場に目を向けた。「日本で会社を作ろう」と考えたが創業は容易でなかった。

人生を変えたのは1通の日本勤務者採用広告メールだった。何も考えず願書を送った。そして数日後に返事がきた。「申し訳ありません」。負けん気が発動した。同僚に尋ねた。「ここよりもっと大きな会社はないか」。

運命だったのだろうか。同僚はNHNを教え、彼はNHNジャパンに願書を送って合流する。2006年1月1日のことだった。全財産300万ウォンを持って日本に渡った彼は、日本の国民的メッセンジャーとなった「LINE」のサービスとともに超高速で昇進した。そんな中、2015年1月に彼にある人物が訪ねてきた。カカオ創業者の金範洙(キム・ボムス)氏だった。

2025/05/15 11:30
https://japanese.joins.com/JArticle/333803

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