「韓国の音楽を世界が聴いてくれる日なんか来るのだろうか。まずは韓国という国には文化的イメージが必要だが、今のコリアはただの『ナイスプライス(nice price)』の国のようだ」。約30年前の1998年に歌手シン・ヘチョルが話した言葉だ。97年、グループ「N.EX.T(ネクスト)」解散後、英国に1年間留学して製作したソロアルバムを韓国でリリースした後に臨んだインタビューでの言葉だ。素晴らしい音楽があっても韓国に文化的な魅力を感じられないため、最初から関心すら持たれないという虚しさ混じりの吐露だった。隔世の感を禁じ得ない。
最近、Netflix(ネットフリックス)グローバル1位にランクインして世界を虜にしたアニメ『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』はK-POPアイドルを素材にした、最初の海外製作アニメだ。退魔師のK-POPガールズグループが悪霊のK-POPボーイズグループと正面から戦うストーリーに、さまざまな韓国の文化的要素が散りばめられている。プロデューサーのテディ、振付け師のリジョン、TWICE(トゥワイス)らが参加し、OSTもヒットを叩き出し、今日のK-POPの地位を端的に示している。
今や世界の人々がK-POPを聴き、K-POPアイドルに熱狂し、韓国語を学び、韓食を楽しみ、韓国を訪れるようになった。”21世紀のビートルズ”BTS(防弾少年団)は2012~2022年、Billboard(ビルボード)シングルメインチャート「HOT 100」1位に最も多くの曲を送り込んだアーティストだ。彼らの来年春の完全体カムバックのニュースは外信の紙面を大いに賑わわせた。BLACKPINK(ブラックピンク)ジェニーがNBCトークショーで紹介した韓国の菓子はグローバルファンが探し求め、品薄現象を引き起こした。
◇K-POPブーム、西欧主流の音楽市場に新たな地形
1990年代後半の韓国ドラマ、2000年代のK-POPという2本軸で発火した韓流の波は、今や映画やOTTシリーズ、ゲームや漫画、文学やミュージカル、食やファッションなど全方向へと広がっている。K-POPを基盤とした韓流の経済効果は37兆ウォン(約4兆円)(2022、韓国経済研究院)。2022年米国USニュース・&ウォートン・スクールの「グローバル文化的影響力」ランキングで韓国は世界7位だった。文化が国の品格を押し上げるKカルチャー時代だ。
K-POPブームは韓国の音楽の成就を越えた世界史的事件だ。YouTube(ユーチューブ)に象徴されるデジタルメディア、文化的多様性と少数者性に敏感なMZ世代の登場などで西欧主流の音楽市場の作動方式が変わる過程でK-POPが中心となって世界文化産業の地形図を書き直した。
K-POPは出発から海外市場を念頭に置いていた。1996年最初のアイドルグループH.O.T.を作ったイ・スマンは97年SMエンターテインメントの職員に「私の目標は海外市場への進出」としながら「Culture First,Economy Next」(文化が先であり、経済は後からついてくる)と宣言した。SMは海外活動を狙って僑胞(海外在住韓国人)出身の多国籍メンバーをグループに投入した。1999年H.O.T.の中国北京コンサートの時、「韓流」という言葉が初めて登場した。2000年代初め不法音源問題で危機感が広がった歌謡界にとってアイドル音楽は新たな活路だった。2002年K-POPとして初めて日本オリコンランキング1位にランクインした13歳の少女歌手BoA(ボア)を筆頭に日本・中国などアジアで韓流ブームが巻き起こった。
目の前に高くそびえていた英米市場の壁を破ったのはYouTube・SNSなどメディア環境の変化だった。ファンシーなK-POPミュージックビデオ(MV)とカバーダンスはYouTubeで最も脚光を浴びるコンテンツの一つだった。セックス・ドラッグ・暴力が飛び交うヒップホップなどと違い、K-POPは西欧で親が子どもに勧められる明るく安全な音楽として受け入れられた。「馬ダンス」が爆発的人気を獲得した2012年歌手PSY(サイ)の『江南(カンナム)スタイル』シンドロームもYouTubeパロディやカバーダンスブームの結果だった。『江南スタイル』MVはYouTubeで初めて再生回数10億回を突破してYouTubeの歴史も書き換えた。
◇音楽業界「それほど韓国的ではない、脱K-POP戦略を」
この時はまだ韓国国内では中小芸能事務所の限界にぶち当たっていたBTSは、積極的なYouTube・SNS活動によりグローバルARMYファンダムを構築するに至った。マネジャーとの葛藤で放送出演が思い通りいかない皮肉な結果だった。「BTS現象の本質はARMYファンダム」(評論家イ・ジヘン)という言葉のように、K-POPはオンラインコミュニティを形成したファンがスターと疎通し、スターの成長を自身の成長と重ね合わせて積極的に後援する養育型ファンダムビジネスだ。
BTSは「優れたビジュアル、中毒的なメロディ、ポイントダンスのある躍動的なダンス」というアイドルK-POP3拍子に哲学とストーリーを加えた。2020年K-POP初のビルボード1位(『Dynamite』)、アメリカン・ミュージック・アワード5年連続受賞など各種新記録を打ち立てていった。BTSの「ラブ・ユア・セルフ」というメッセージは21世紀の青春に対する慰労として受け入れられ、BTSは地球村の「善良な影響力」の象徴になった。マイノリティ、サブカルチャーに対する受容性と連帯に基づいたK-POPファンダムは時折政治的主体に変貌することもあった。
K-POPは音楽の外的な変化ももたらした。惜しみなくお金と時間を投資する「献身」を特徴とするK-POPファンダム文化がさまざまな領域に拡大した。行動力のあるファンダムを保有しているかどうかが成否を決める変数になるほどだ。主にオーディション番組を通じてアイドルメンバーを選抜するK-POPは競争万能、勝者一人占め、公正性と能力主義に対するイデオロギーを内面化する仕組みとしても作用した。MZ世代の格別な「公正」感覚の形成にK-POPオーディション番組が大きく寄与した。
問題は最近になってK-POPの成長が停滞しているという点だ。BTSの軍空白期間をBLACKPINKが埋めていたが、彼ら2つのグループを継承する後続走者が見えてこず、「K-POP危機論」も出ている。K-POP市場規模が年間12兆7000億ウォン(92億ドル)へ急成長したが、まだグローバル音楽市場1300億ドルには遠く及ばないのも事実だ(モルガン・スタンレー推定)。
韓国音楽業界は「現地化」と「K-POPからKを消す脱K-POP」戦略でこれに立ち向かっている。HYBE(ハイブ)の米国ガールズグループKATSEYE(キャッツアイ)など海外オーディションで現地メンバーを選んで育成した現地化チームが次々に誕生している。ブルームバーグは「K-POPが世界的な影響力を拡大するために、韓国的なものをより薄める方向に変化している」と診断した。実際、すでにBTSとBLACKPINKはグローバル市場でK-POPというよりは一般のポップとして受け入れられている。しかし、典型的なK-POPの曲が次々に登場する『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』が世界の音源チャートを席巻することからも分かるように、依然と「K-POPらしいK-POP」に対する需要も明らかに存在する。
作曲家のキム・ヒョンソク氏は「K-POPの90%以上が外国人の作曲なのでK-POPの国籍を問うことには意味がなく、K-POPという下位カテゴリーからも抜け出す時」とし「いくらKを消しても最後まで残るKの本質はファンコミュニティ文化」と評価した。続いて「K-POPという文化ブランドが形成され、今やアイドル音楽の他にもさまざまな韓国音楽が機会を得ていて鼓舞的」と評した。
もちろん課題も多い。中小芸能事務所のアイドル人権問題、HYBE・NewJeans(ニュージーンズ)事態を見るように拡大した事業規模に見合わないリスク管理力、ファンダムの過消費をそそのかす歪んだ商法などは克服しなければならない点として指摘されている。
◇「文化大統領」ソテジワアイドゥル…90年代にK-POPの種を蒔いた
K-POP韓流の種は1990年代に蒔かれた。87年民主抗争で形式的民主主義が完成され、いよいよ文化の時代が開かれた。「1993年文民政府時代スタートと経済好況、パソコン通信活性化などの影響で当時X世代を中心に文化消費欲求が高まった」(音楽評論家イム・ヒユン)
95年は歴史的な年だった。アイドルK-POPのひな型を作ったSMエンターテインメントが設立され、ケーブルテレビが開局してMTVなど「見る音楽」時代が開かれた。大企業の文化産業進出も同年に行われた。96年には音盤事前審議制度が撤廃され、98年からは日本大衆文化開放が実現した。「文化立国論」の土台もこの時期に作られた。
92年デビューしてラップダンス音楽時代を切り拓いたソテジワアイドゥルは「文化大統領」と呼ばれた。文化が産業であり権力になったのだ。創作者などもエリート人材へと総入れ替えが行われた。イ・スマン(SM)を除くパン・シヒョク(HYBE)、パク・ジニョン(JYP)、ヤン・ヒョンソク(YG)は全員70年代に生まれて20代で90年代大衆文化の爆発を経験した後、業界のリーダーとなった。K-POP韓流ブームは60~70年代の産業化、80年代の民主化を成しとげた韓国社会が90年代の文化時代を迎えて蓄積した文化的力量が爆発した結果ということができる。
2025/07/09 13:25
https://japanese.joins.com/JArticle/336047