約5000点の部材で…朝鮮王室霊廟「観月堂」 100年ぶり日本から帰還

投稿者: | 2025年7月24日

1枚ずつ緩衝材で包装された瓦、木材の柱と独特の瓦の装飾…。23日午前、京畿道坡州(パジュ)にある伝統建築部材保存センターで国家遺産庁の主管で開かれた「観月堂解体部材言論公開会」では観月堂の部材(構造物の主要材料)を見ることができた。この部材を組み立てれば一つの木造建物、観月堂の姿となる。

この日現場に出席した許民(ホ・ミン)国家遺産庁長は「寄贈者側から慎重に扱ってほしいという意見があり(観月堂の)部材をすぐには公開できなかった」とし「今日は部材について説明し、復元・複製など今後の計画について伝えたい」と述べた。

 「観月堂」は日本の高徳院で日本の国宝「鎌倉大仏」の後方にあった木造の建物だ。1924年に朝鮮殖産銀行が日本の実業家、杉野喜精に建物を贈与して日本に渡った。杉野が1934-36年ごろ病気の治療のため鎌倉の高徳院に寄贈して祈祷の場として活用された観月堂は、1990年代に金晶東(キム・ジョンドン)牧園大名誉教授によってその存在が伝えられた。その後、返還の話が出たが、韓日関係や新型コロナなどで遅れた。

昨年6月に関連協約書が締結され、極秘裏に解体と搬入が進行された。国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は先月24日、言論公開会を通じて観月堂の部材の正式譲渡を発表した。寄贈者である高徳院の住職、佐藤孝雄氏は建物を解体して部材を移す費用などの全過程を支援した。観月堂の建築学的説明を担当したイ・ギュチョル建築空間研究院博士は「観月堂のように完全な木造建築形態が約100年後に韓国に戻ったのは初めてであり、今後もこのような事例はすぐには出てこないだろう」と説明した。

観月堂の全体の部材は石材・金物401点、瓦3457点、木材1124点の計4982点にのぼる。この部材は伝統建築部材保存センター第1収蔵庫に保管されている。第1収蔵庫は火災被害があった崇礼門(スンレムン、南大門)の部材が保管されている第2収蔵庫の環境と同じだ。伝統建築修理技術振興財団のソン・チャンイル部材調査チーム長は「内部の湿度はエネルギー使用効率を考慮して木材が毀損しない80%以下を維持できるよう保管中」と説明した。

各部材の保管現況や特徴を説明した国外所在文化遺産財団のパク・ソヨン氏は「基壇の石材と屋根の瓦は昨年11月に韓国に入り、柱から屋根の骨組みを構成する木材は5月に韓国に運ばれた」と伝えた。

観月堂の部材には原形の姿と日本で変形された姿が共存していた。パク氏は「柱の上段に追加された柱の部分があるが、これは日本で追加されたもの」とし「表面は黒く塗られていたが、これを剥がすと朱色だった」と説明した。

このほか瓦の中の竜文平瓦の一部が日本で製作されたと推定される。パク氏は「上段にある竜文平瓦の場合、朝鮮時代に製作されたとみられ、下段の場合は日本で製作されたと推定している。今後、瓦の強度や吸水率などを確認し、韓国・日本両国の瓦の特性と製作技法を比較研究する予定」と明らかにした。

この日、現場で関係者らは「観月堂は王室建築と関連があるが、宮廷内にあった建物ではないと推定される」と口をそろえた。正面と背面の装飾性をみると、王室建築に活用されるほどの華麗さや正面と背面の級が異なる点などから宮廷内の建物とは差があるという説明だ。

観月堂は宮廷内の建物ではないが、宮廷建築で見られる「蕉葉」という部材が10個使用されていて、王室に関連する建築物だったと推定される。イ・ギュチョル博士は「景福宮(キョンボックン)周辺にある霊廟と推定される」とし「七宮よりは小さい規模であり大君級の霊廟のようだ」と推測した。

このほか観月堂には下側から正面を通過する7.2メートルの下引枋(貫木)という特異な部材があった。引枋は柱と柱の間に横に設置される木材部材だ。

部材に対する精密調査を経て今後の復元方向が決定される予定だ。木材資材の年輪年代分析と数種類の分析を通して観月堂の沿革を補強する課題なども残っている。観月堂が建てられた正確な時期を知り、文献考証が行われてこそ、原形の位置も把握することができる。

国家遺産庁のパク・ヒョンビン国外遺産協力課長は「研究復元に長い時間がかかると予想されるだけに、国民にはいかなる方式であれ公開するべきだと考える」とし「いくつかの部材を集めて展示したり、オンラインで国民に共有できるよう計画を立てたい」と伝えた。

2025/07/24 09:33
https://japanese.joins.com/JArticle/336678

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