日本人牧師・野村基之さん死去(享年94歳)…韓国の貧民救済に生涯を捧げた「清渓川の聖者」

投稿者: | 2025年7月29日

 1960-80年代、ソウル・清渓川下流のバラック集落で貧しい人々を救う活動をした日本人牧師であり、社会活動家の野村基之さんが26日に亡くなった。94歳だった。野村さんは悪性リンパ腫と診断されて先月から入院し、最近まで治療を受けていた。故人の意思により葬儀は行われない。

 京都で生まれた野村さんは大学で獣医学を学び、第二次世界大戦後に退学、1961年に米国に神学留学した。留学時代に人種差別を経験し、日本による植民地支配下における韓国人の苦痛を理解するようになったという。その後、贖罪(しょくざい)のために生涯にわたり韓国で奉仕活動を行った。1968年から1985年まで15日間の観光ビザで60回以上韓国を訪れ、清渓川の貧しい人々を助けた。1973年には東京の自宅を売って託児所を建てた。朴正煕(パク・チョンヒ)政権が清渓川一帯のバラック集落を撤去すると、貧しい人々は京畿道華城市の南陽湾に移住したが、そうした人々が自立できるようにニュージーランドから種牛約600頭を購入した。貧しい人々に支援した私財は7500万円以上に達するとのことだ。

 野村さんは韓国に滞在している間、清渓川にあったバラック集落の様子や韓国近代化前の農村の風景、維新体制(朴正煕政権)の下での民衆の暮らしなどをカメラで撮影した。悲惨な現実を記録することがざんげの方法の一つだと信じていたという。スパイと誤解されて韓国中央情報部(KCIA)に連行され、取り調べを受けたこともあった。野村さんは2005年に自ら撮影した写真約800枚をソウル市に寄贈し、2013年に名誉ソウル市民証を贈られた。

 野村さんは2012年、ソウル市鍾路区の日本大使館前にある「平和の少女像」を訪れた。そして、ひざまずいて旧日本軍による従軍慰安婦動員を謝罪した。日本の右翼からの脅迫電話や電子メールにさいなまれたが、「歴史において加害者だったという事実を受け入れ、申し訳ないという気持ちを持って生きている良心的な日本人の方が多い」と語った。

 童話作家イム・ジョンジン氏(62)は「野村さんは自身の服はリサイクルセンターから拾って着ていたのにもかかわらず、寄付を惜しまなかった」と話す。野村さんの息子(59)は「父は韓国人に感謝する気持ちで安らかに目を閉じた」「私も韓国の子どもたちを助けながら生きていく」と言った。

 野村さんは荼毘(だび)に付され、散骨される予定だ。遺族は「死んだら韓国に骨を埋めてほしい」という故人の意向に従い、遺骨の一部を清渓川にまきたいと話している。

チェ・ハヨン記者

2025/07/29 10:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/07/29/2025072980026.html

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