「スターリン、旅順海軍基地を使用しようと金日成の南侵計画を容認」

投稿者: | 2025年8月6日

「1950年1月にスターリンが従来の不可能という立場を変えて金日成(キム・イルソン)の南侵を容認した本当の理由は、旅順海軍基地や長春鉄道などソ連の戦略的利益のためだった」。

中国華東師範大の沈志華終身教授(75)は韓国戦争(朝鮮戦争)休戦72周年を迎えて先月28日に行われた中央日報のインタビューでこのように述べた。沈教授は秘密が解除された旧ソ連の文書を分析し、韓国戦争を再解釈するのに生涯を捧げた冷戦史の権威者だ。沈教授は「朝鮮戦争を北朝鮮・中国・ソ連が共に画策したという『3国共謀論』は事実ではなく、スターリンと金日成が『設計』し、毛沢東を人質として『拉致』した」と強調した。インタビューは北京郊外大興区の沈教授の自宅で行われた。

 沈教授は新しい史料に基づき1949-50年の朝中ソ三角関係の内幕を語った。まず「金日成がソ連に南侵を初めて提案したのは1949年3月」とし「モスクワを初めて訪問した金日成にスターリンは武力使用不可を指示した」と説明した。同年7月に米軍が撤収すると、金日成は甕津(オンジン)半島で小規模な衝突を起こして米国の反応を確認した後、全面戦争を敢行するという南侵計画をまたモスクワに報告した。しかしソ連共産党は米国との葛藤を懸念して容認できないと改めて通知した。

反転は毛沢東のモスクワ訪問(1949年12月16日-1950年2月17日)時期にあった。当時、スターリンは1945年8月に国民党の蒋介石と締結した中ソ友好同盟条約を毛沢東が引き継ぐことを望んだ。長春鉄道の経営をソ連人が引き受け、旅順・大連の港を30年間ソ連に賃貸するという内容だった。これを拒否した毛沢東とスターリンが対立すると、これを知った英メディアは毛沢東がモスクワで家宅軟禁されたと報じた。

1950年1月に米国が韓国と台湾を防御ラインから除外する「アチソンライン」を発表すると、スターリンは「極東で戦争になればソ連軍が旅順港に引き続き駐屯できる」という中国の周恩来の提案に注目した。スターリンは平壌(ピョンヤン)のテレンティ・シティコフ大使に「金日成に対してこの懸案(南侵)を支援する考えがあることを伝えてほしい」という秘密電報を毛沢東に密かに送った。旅順を望んだスターリンが毛沢東と金日成を利用して南侵を容認したというのが沈教授の解釈だ。

金日成は同年4月にモスクワを秘密訪問して南侵計画を確定し、5月に秘密裏に北京を訪問して毛沢東に対してスターリンと合意した南侵計画を通知した。沈教授は「一晩悩んだ毛沢東に選択の余地はなかった」とし「(毛沢東の)承諾まで受けた金日成は帰国後、戦争勃発まで中国といかなる連絡も取らなかった」と説明した。

沈教授はインタビューの最後に最近の朝ロ密着を憂慮した。1950年の朝ロの結託を思い出すというニュアンスだった。「プーチンはウクライナ問題で北朝鮮の砲弾と兵力を望み、金正恩はロシアの軍事技術と核兵器を望む」とし「双方の結託の目的は戦争を発動して問題を起こそうとする意図」と指摘した。沈教授は「中国はここ(朝ロ同盟)には絶対に参加できない」とし「北東アジアで安全保障と経済的に根本的な利益を共有する中国と韓国、さらに日本が共に過去の不都合な歴史を理解し、意思疎通を強化しなければいけない」と述べた。

2025/08/06 13:42
https://japanese.joins.com/JArticle/337250

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)