サハリンから平壌を経てソウルへ…80年ぶりの帰還【寄稿】

投稿者: | 2025年8月7日

  先日、大韓赤十字社に1通の電話がかかってきた。自分を脱北者だと紹介した女性はソウルにいるかもしれない「父方のおば」を探したいと言った。女性の話の中で、彼女が生まれ育ったところは北朝鮮だが、ルーツは遠く離れたサハリンにあることが分かった。

 日帝強占期(日本の植民地時代)だった1939年、彼女のおばと父親は国家総動員令によってサハリンに強制的に移住させられた。このように強制的に動員された韓国人だけで16万人と推定される。サハリンの酷寒と重労働は数多くの朝鮮人を死に追いやった。極限の一日が続いたある日、解放が訪れたが、彼らは依然として祖国に帰ることができなかった。敗戦した日本は朝鮮人の帰還に対する責任を果たさなかったし、ソ連は朝鮮人たちを抑留しようとした。弱り目にたたり目で、解放された祖国は分断の道に入り、まもなく戦争が起きた。混乱の時期、約2万3千人の韓国人が自分の意志とは関係なくサハリンに取り残された。

 一方、1950年代末、北朝鮮は労働力確保のためにサハリンの韓国人の北朝鮮国籍取得に積極的に乗り出した。サハリンの韓国人の大半は韓国が故郷だったが、相当数が北朝鮮国籍を選択し、彼らの一部は北朝鮮に向かった。彼女の父親もその一人だった。彼女の家族はそのように北朝鮮に定着し、娘は大人になってからその地を離れた。脱北だった。

 彼女は脱北後、大韓赤十字社のサハリン同胞永住帰国事業の話を聞いて連絡したと話した。韓国は1992年から蓄積されたサハリン同胞帰国者5600人余りの記録を一つ一つ確認し、現地のサハリン韓人協会にも助けを求めた。ついにおばの所在を確認することができた。叔母はとっくにサハリンから帰国して韓国に定着していた。私たちはすぐに叔母に連絡し、姪の消息を伝えた。父親が一生想い続けた家族が、娘を通じて再び繋がれた瞬間だった。

 大韓赤十字社は、国際赤十字運動の構成員として長い間、家族をつなぐ事業を進めてきた。いわゆる離散家族探し活動(RFL、Restoring Family Links)は、国際赤十字運動が世界を舞台に遂行する人道主義活動で、戦争や災難、強制移住などで散らばった家族の連絡と再会を助ける活動だ。韓国では「南北離散家族探し」としてのみ知られているが、脱北民、サハリン同胞、在外同胞など様々な離散の形を包括する国際赤十字運動の固有の活動の一つだ。

 筆者はこれまで様々な家族の再会を取り持ってきたが、今回の出会いは数多くの再会の中でもさらに心を痛めた。ある家族の再会の中で、日帝強占期の強制移住、光復、分断された祖国と冷戦という時代的悲劇が幾重にも重なっていたからだ。その悲劇を乗り越えた帰還の道のりは80年前、朝鮮半島の外にある凍土から始まり、北朝鮮というもう一つの境界を通り、今日ソウルに至った。

 しかし、この劇的な再会がすべての人に許されるわけではない。サハリン同胞永住帰国事業は1992年に始まり、2020年特別法制定を通じて帰国および定着を支援する法的基盤が作られた。昨年は、法改正で帰国できる同伴家族の範囲をすべての子どもとその配偶者にまで拡大し、同胞社会の要求に一部応えた。しかし現在、永住帰国支援は依然としてサハリン同胞1世代生存者の家族に限られており、すでに死亡した1世代の子供世代は同じ歴史的犠牲者であるにもかかわらず支援を受けられずにいる。これに対し、第1世代死亡者の家族も支援対象に含めてほしいという同胞社会の要求を受け、共に民主党のヤン・ムンソク議員が5月に特別法改正案を代表発議した。

 このようにまだ終わっていない課題を前にして、韓国は光復80周年を迎える。80年という時間の間、光復は誰かにとっては回復だったが、誰かにとっては苦しみの猶予だった。大韓赤十字社は今日も、彼らの苦しみを和らげるため、目に見えない努力を続けている。離れ離れになった家族をつなぎ、サハリン同胞がこの地で尊厳な人生を終えることができるように助けること、そのことを通じて大韓赤十字社はこの80年間、終わらない解放が残した課題に応え続けながら、真の解放の意味に向かって進んでいる。

2025/08/06 18:53
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/53896.html

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