目の前に幻想的な姿を見せるところ、しかし決して届かなかったところ、それで想像力をかき立てるところ。宇宙のことだ。人類文明の相当な期間、宇宙は神話の舞台だった。洋の東西を問わず星座の伝説が生まれ、太陽系の惑星にはオリンポスの神々の名がついた。
ルネサンス時代を経て宇宙は神々の世界から物質の世界に降りてきた。科学は天体が動く原則を見つけ出した。20世紀前半には宇宙の起源を説明する「ビッグバン(大爆発)」理論までが出てきた。しかし宇宙は依然として届かないところという事実は変わらなかった。
宇宙に人間の手が届き始めたのは、言い換えれば宇宙開発のきっかけは体制競争だった。第2次世界大戦が終わり、ソ連は米国を打撃する大陸間弾道弾の開発に着手した。ミサイルは大気圏を抜け出し、宇宙空間まで上昇して下りてくる必要があるが(大気圏再進入)、繰り返し再進入に失敗した。弾道弾の開発が失敗に終わりそうな状況で、開発を率いた科学者セルゲイ・コロリョフがアイデアを出した。「再進入せずに遂行する軍事的用途を探せばよいのでは」。
人工衛星を軌道に乗せることがまさにそれだった。1957年10月4日、ソ連は最初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げた。これは米国に衝撃を与えた。宇宙空間から敵対国が米国を観察する直接的な安保脅威だった。体制の優越性にも亀裂が生じた。米国は黙っていなかった。ケネディ大統領は人を月に送るという計画を発表した。そして69年7月20日、ついに人類は月に第一歩を踏み出した。
◆米国の偵察衛星、北朝鮮ノドンミサイル探知
韓国の宇宙開発も体制競争が火をつけた。89年12月、イラクがソ連製スカッドミサイル技術を基盤に衛星打ち上げを試みたというニュースがあった。黙過できなかった。北朝鮮も同じことをする可能性があったからだ。翌年5月には北朝鮮を見渡す米国の偵察衛星が、スカッドを改良したノドンミサイルを発見した。
韓国もその当時、本格的にロケットを開発し始めた。イラクの情報が入った当時、韓国航空宇宙研究所(現韓国航空宇宙研究院、以下・航宇研)が開設されてから2カ月が経過した時だった。筆者は宇宙推進機関研究室長だった。簡単にいうとロケット開発の責任者だった。しかし「いつかロケットを作る」という夢を持って各種調査研究をしていただけで、予算がなく実際のロケット製作には手も付けられなかった。当時の航宇研の宇宙関連主要任務は他国のロケットに搭載する人工衛星を開発するというものだった。人工衛星は先進技術の移転や部品の輸入が比較的容易だったが、軍事目的に使用されるロケットはそうではなくて開発が容易でないという現実的な限界があった。韓国が92年に初の人工衛星「ウリビョル1号」を欧州のロケットで打ち上げるなど人工衛星の開発が発射体(ロケット)より先に進んだ理由だ。もちろん韓国も軍事武器としてのロケット技術は持っていた。しかし地政学的イシューのために射程距離が180キロ以内に制限され、衛星打ち上げなどには応用できなかった。
その発射体の開発はノドンミサイル発見直後に弾みがついた。すぐに科学ロケット開発が始まった。3年余りの研究開発の末、93年6月に最初の科学ロケットKSR-Ⅰが打ち上げられた。固体燃料を使用する1段ロケットだった。199秒の間に77キロを飛行した。
さらに重いものを積んでさらに高く上がる初の液体燃料科学ロケットKSR-IIIの開発が続いた。98年から5年間に580億ウォンかけて開発しようとした。その時に通貨危機を迎えた。開発初年度の98年の予算が20億ウォンに減少した。これではまともに事業を推進できるか確信できなかった。
そのような98年9月1日、航宇研に急な連絡が続いた。データを渡すので分析してほしいというものだった。北朝鮮が前日に発射したテポドン1号の軌跡だった。北朝鮮はテポドン1号に人工衛星「光明星1号」を搭載して軌道に乗せたと主張した。分析を繰り返した末、「人工衛星打ち上げは実際に試みたようだが、軌道には乗らず失敗したとみられる」と報告した。
韓国でも支援に消極的だったKSR-III研究が本格化した。全体の研究費は780億ウォン、98年度の研究費は10倍近い198億ウォンに増えた。国際社会を説得し、平和的目的のロケットに対しては射程距離制限も解除した。
2002年11月にKSR-IIIが、2013年1月にはロシアと技術協力した「羅老(ナロ)」が、そして2022年6月には韓国の技術で製作した「ヌリ」が打ち上げられた。「ヌリ」がは科学衛星を軌道に乗せた。ついに独自の宇宙輸送体系を確保したのだ。これで韓国は米国・ロシア・中国・日本・インド・フランスとともに重さ1トン以上の衛星を打ち上げた世界7大国家となった。その間、2009年に羅老宇宙センターが開設された。
「ヌリ」の開発過程は決して容易でなかった。30万個の部品と素材が深刻な温度と圧力の変化に耐えなければならなかった。常温で完全に作動する電子機器もこうした極限環境では異常が生じたりする。ロケット点火直後の激しい振動のため連結部品に問題が発生したりもする。いくら地上試験をしても実際に打ち上げなければ見つからない問題などだ。発射体の表面に描く太極旗(韓国の国旗)や「大韓民国」の文字にも特殊ペイントを使用しなければいけない。普通のペイントは極低温を耐えられない。国民が発射場面を見守る中で「大韓民国」の文字の一部が剥がれれば…。考えるだけでもぞっとする。
ロケット開発は難関の連続だ。「羅老」と「ヌリ」が何度か予想できない失敗を経験した。それでも変わりなく声援と激励を送った国民のおかげで成功することができた。もちろん失敗は研究開発陣にはぞっとする瞬間だった。
2025/10/30 15:21
https://japanese.joins.com/JArticle/340424