「最後まで生きて謝罪を受けなければならないというハルモニの叫びは、怒りではなく責任であったし、復しゅうではなく正義に対する意志でした」
12月31日にソウル鍾路区(チョンノグ)の在韓日本大使館そばで行われた今年最後の「日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ(水曜デモ)」で、日本軍「慰安婦」歴史館のホン・ウンミ副館長はこう語った。2025年に永眠した日本軍「慰安婦」被害者のキル・ウォンオクさん、イ・オクソンさんの遺影が飾られていた。この日、体感温度零下10度の身を切るような風が吹き、遺影の前のろうそくがひとつふたつと消えるような天候にもかかわらず、50人あまりの市民は「公式謝罪、法的賠償」、「日本軍慰安婦被害者保護法改正」などのプラカードを掲げてその場を守った。2人のハルモニは、水曜デモの最後に遺影の前に色とりどりの花を供える市民たちの姿を見つめていた。
1928年に平安北道熙川(ヒチョン)で生まれたキルさんは、1940年に13歳で「工場に就職して金を稼げる」とだまされ、中国満州の慰安所に連れて行かれた。1998年に政府に日本軍「慰安婦」被害を届け出たキルさんはその後、国内外で戦時性暴力被害者の人権回復のための活動の先頭に立ってきた。2012年には「日本政府から賠償を勝ち取ったら戦時性暴力の被害者を支援したい」として、故キム・ボクトンさんと共に「ナビ基金」を設立した。1927年に釜山(プサン)で生まれたイ・オクソンさんは15歳の時、道を歩いていたところ、中国の延吉の日本軍の飛行部隊に連れ去られた。半世紀後の2000年に韓国に永久帰国したイさんは、日本軍「慰安婦」の真相を告発してきた。2021年には日本政府を相手取って韓国の裁判所で損害賠償訴訟を起こし、勝訴判決を勝ち取った。残り少ない慰安婦生存者だったキルさんは2月、イさんは5月にそれぞれ亡くなった。
この日の水曜デモでは多くの追悼の言葉が贈られた。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のヤン・ジンジャ共同代表は、「祖国の分断で故郷に帰れず、日本軍『慰安婦』被害者であることを人に気づかれることを恐れて自ら罪人のように生きてきたキルさんは、勇気をもって人前に立ってから、傷を少しずつ癒し、人の傷まで抱擁する平和運動家となった。キルさんの痛みを抱えつつも温かな人生の旅程は、永遠に忘れられることはないだろう」と述べた。ホン・ウンミ副館長は「イさんは自身の苦しみをあらわにすることがどれほど大きな勇気を必要とするかを知りながら、最後まで証言をやめなかった。生前、イさんは『死んでも先に逝った仲間たちと共に日本の誠意ある謝罪と法的責任を要求するから、友人たちのそばに埋めてほしい』とおっしゃっていた」と述べて哀悼した。
今や「慰安婦」被害生存者は6人のみとなっている。被害者に対する日本の公式謝罪などが含まれていない2015年の韓日「慰安婦」合意から10年。歴史を否定する極右勢力の声は強まりつつある。被害者に対する攻撃が激しくなるにつれ、2024年には被害者に対する侮辱、虚偽事実の流布などを処罰すべきたとする国会への国民同意請願が5万人以上の同意を得て、9月になってようやく国会性平等家族委員会に付されたが、審査期間は来年5月末まで延期されている。この日の水曜デモに参加したパク・ウィソンさん(42)は「歴史的事実を否定する極右勢力に腹が立ち、7月からデモに毎週参加している」として、「また被害者が亡くなる前に、政府も解決に取り組むべきだ」と述べた。イ・ギョンヒさん(60)は「被害生存者が全員亡くなったとしても、市民として『慰安婦』問題解決の意志を最後まで引き継いでいくつもり」だと話した。
水曜デモの参加者たちは「日本政府は日本軍性奴隷制の罪を認め、真相を糾明せよ!」、「韓国政府は日本政府に戦争犯罪の責任を明確に要求し、被害者が日本国を相手取って勝ち取った法的権利の実現の先頭に立て!」などのスローガンを叫んだ。
2025/12/31 15:06
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