◆「焼却場は生活を支えるところ」
東京が最初からごみ焼却場を各区別に保有していたのではない。各区に清掃工場を建設してごみ全量を焼却できる体制ができたのは1997年のことだ。
1970年代初めは東京全域から集収したごみの70%以上がすべて江東区の埋立地に集まった。ハエが発生して悪臭が広がり、江東区の住民が他区のごみ搬入を阻止する実力行使に踏み切った。当時の米濃部亮吉東京都知事が各区内での処理を原則とする「ごみ戦争」を宣言し、各区別に焼却場が建設され始めた。
住民と絶えず意思疎通し、老朽施設を現代化しながら、焼却場は都心の中の生活空間として定着した。北清掃工場は2030年2月の2度目の建替えのため焼却炉解体工事に入った。
北清掃工場の隣にも区立施設「元気ぷらざ」があるが、清掃工場から出る熱で温水プールを運営してきたという。この地域に住むイシダさんは「(焼却場は)生活を支えているところ」とし「自分たちが捨てたごみを地域で責任感を持って処理できるという点でよいと思う」と語った。
◆「遠征焼却は臨時手段…焼却量減らしてリサイクル拡大」
ソウル市が焼却場拡充の代わりに遠征焼却で対応したが、臨時手段にすぎないという指摘だ。専門家らは生活ごみ発生からリサイクル、処理まで都市ごみ政策のリモデリングが必要だと話す。
ホン・スヨル資源循環社会経済研究所所長は「従量制ごみをもう一度選別する処理施設設置を義務化するなど焼却量を減らす措置が必要だ」とし「これと共にリサイクルの範囲拡大を含め、新しいごみ処理ロードマップを用意しなければいけない」と話した。
東京のように焼却場を都心と住居地の中に共存させるべきという声も出ている。キム・イホン弘益大建築学科教授は「日本やデンマークなどではかつて最も隠そうとしていた焼却場を積極的に見せながら都市に新しい活力を与えるエンジンとして機能している」とし「ごみを我々が暮らす空間の外側に送り出すのではなく問題に積極的に取り組んでこそ、ごみを処理する方法を真剣に悩むことになるはず」と指摘した。
2026/01/05 10:31
https://japanese.joins.com/JArticle/342953