「『慰安婦』運動によって世界中の被害者が声を上げることができました」

投稿者: | 2026年4月14日

 「私が理事長に選任されたのは、たぶん(2020年)4月26日のことだったと思います。今後の日本軍『慰安婦』運動が進むべき方向は記録・記憶・教育であるため、これまで一緒に活動してきた私が内容をよく知っていることもあり、理事長になればいいという結論に至りました。実際のところ、私はそのとき済州島(チェジュド)にいて、会議にも出席できませんでした(笑)。理事長は非常勤なので大した負担にはならないだろうし、私が専門家として貢献できることもあると考え、引き受けることにしました」

 この6年間務めてきた正義記憶連帯(以下、正義連)の理事長職を30日に退任するイ・ナヨン中央大学教授は、とてもすっきりした表情だった。8日にソウル市鍾路区(チョンノグ)にある旧日本大使館の前で開かれた第1747回「水曜集会」に参加し、「これからは1人の研究者として、また活動家として、みなさんと一緒に過ごす」という別れのあいさつをした後のことだった。翌日午後、ソウル市麻浦区(マポグ)の正義連事務室でハンギョレの取材に応じたイ理事長は、「これまでに受けたストレスのため、健康を大きく損ねた」として、「当面は周囲の様子をみながら治療に集中するつもり」だと述べた。

 「あまりにも深刻なストレスを受けた」というイ理事長の言葉どおり、この6年間は、キム・ハクスンさん(1924~1997)の勇気ある初の証言(1991年)をきっかけに本格的に始まった韓国の慰安婦運動史において、最も緊張した時期だった。ユン・ミヒャン前理事長が2020年3月、第21代国会議員選挙に比例代表で出馬したことを機に、挺身隊問題対策協議会(挺隊協)による運動の進め方と会計の不透明性を指摘するイ・ヨンスさんの「爆弾記者会見」(5月7日)が開かれたためだ。これまで、被害当事者たちと韓国・日本の市民社会が涙と汗で育んできた大切な運動が空中分解しかねない大きな危機が始まったのだ。「理事長に就任するやいなや、事件が起きたのです。そのため、ろくに引き継ぎもできていない状態で事態に対処していくことになります」

 社会の圧倒的な信頼と支持を得ていた組織だっただけに、突然始まった「魔女狩り」的な攻撃には、ひどく慌てざるをえなかった。保守勢力は邪魔者のような正義連の社会的影響力をそぐため、不当かつ過剰な批判を浴びせ、進歩陣営は突然の事態にどう対応すればいいのかわからず、右往左往を繰り返した。戦時下の女性に対する性暴力問題を、全人類がともに考えるべき重要な人権問題へと押し上げた韓国の慰安婦運動が、1日で「足かせのような存在」に転落してしまったのだ。別の見方をすれば、この混乱は2015年末の韓日「慰安婦合意」以降、この運動の今後の発展の方向性について明確な解決策を見出すことができなかった韓国社会の「総体的な失敗」を映し出すものでもあった。

 「まず、混乱のなかで殺到していたメッセージを、一つひとつ整理する必要がありました。事態の初期のころは毎日、記者たちを対象に会見を開き、その後は水曜集会を通じて状況を伝えました。30年間続いてきた運動だっただけに、手を付けるべきことが多かったのも事実でしょう」。正義連は1カ月後の6月、「省察とビジョン委員会」を設置し、今後の組織改革と運動の方向性を改めて定めるための検討を始めた。その結果を集約して翌年2月、会計管理システムの刷新▽組織改善▽未来ビジョンの再構成▽市民とのコミュニケーション強化などの内容を発表した。

 危機は機会でもあった。「ちょうど2020年は正義連30周年でした。防御だけをするのではなく、慰安婦運動が歴史的に、そして世界の人権史において、いかに大きな役割を果たしたのかを伝えることが重要だと考えました。被害者たちはもう私たちのそばにはおられないので、記憶と記録の戦いにならざるをえないでしょう」。「これほど大変な最中の今、行うべきことなのか」という反対意見もあったが、団体が保管していた慰安婦に関する「膨大な資料」を「デジタルアーカイブ」(archives.womenandwar.net)として構築する作業を開始(2023年7月正式公開)した。また、在ドイツの市民団体である「コリア協議会」などの要請を受け、ベルリンに「平和の少女像」を設置するなど、海外活動にも力を入れた。

 もちろん、反動は簡単には消えなかった。最大の変化は、水曜集会に右翼勢力が押し寄せ始めたことだった。彼らは日章旗を振りながら、被害者たちに「売春婦」「嘘つき」などのヘイト(憎悪)発言を浴びせた。慰安婦法廃止国民行動のキム・ビョンホン代表や西岡力氏のような韓国と日本の極右勢力がともに妨害集会に参加することもあった。「あの人たちは6年間、毎週現れました。初めは警察のバリケードもなかったので、私が発言すると、すぐそばで大声を出しながら、つきまとってきました。ものすごい大騒ぎでした」。状況をこれ以上見過ごすことのできなかったイ・ヨンスさんは2022年3月、彼らを名誉毀損などの容疑で鍾路警察署に告訴した。すでに4年が経過したが、捜査の行方はまだ五里霧中だ。

 こうしたことから、1人や2人に対する告訴や告発では問題は解決されないという事実に気づき、「慰安婦被害者法」に処罰条項を加える法改正運動を始めた。「昨年11月の国政監査の際に参考人として呼ばれたので、水曜集会の映像資料を流しました。現場でどのようなヘイト発言が行われているのか、韓国と日本の極右団体がどのように結びついているのか一目瞭然でした。直視できませんでした。(保守最大野党)『国民の力』の議員も反対しませんでした」。法律は2月12日に国会本会議で成立し、6月に施行を控えている。日本政府を相手取った損害賠償請求訴訟で、「国家免除」の論理を破って勝訴(1次訴訟2021年1月、2次訴訟2023年11月確定)したことも、運動の大きな成果だった。

 結局、慰安婦運動とは何だったのだろうか。「これまで、公式謝罪、法的賠償、真相究明、責任者処罰など7つの要求事項を掲げて運動してきました。日本はどれ一つとしてまともに対応しませんでした。では、この運動は失敗だったのでしょうか。そうは考えません。韓国社会の努力によって、韓国人だけでなく、世界中の戦時性暴力の被害者たちが自ら声を上げられるようになり、国際人権法の規範が変わりました。世界史的にこれほど成功した運動はありません。しかし、国際社会はこの問題を『人権問題』と考えていますが、韓国政府は「外交問題」とみなしています。この枠組みにとらわれると、慰安婦問題は日本との関係を阻害する頭の痛い「足かせ」にならざるをえません。日本に何かをしてほしいと要求する必要はなく、自ら、何が解決され、残された課題は何であり、これをどう整理していくのかを判断しなければなりません。日本は被害者に心から謝罪したり、賠償したりはしていません。100年後の後世の人たちがこれを正確に理解できるよう、人権の観点に立ち、主体的に整理しなければなりません。それが今後の運動の課題ではないかと思います。このことを何よりお伝えしたいです」

2026/04/13 20:20
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/55921.html

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