高知県香南市で「日韓友好 東洋平和」記念碑除幕式…安重根義士とその遺墨を保存した日本人を追悼

投稿者: | 2026年6月12日

 6月6日午後、日本の高知県香南市で、安重根(アン・ジュングン)義士とその遺墨を保存してきた高知県出身の日本人たちを顕彰する「日韓友好 東洋平和」記念碑の除幕式が行われた。

 式典開始時には激しい雨が降り、司会を務めた西森潮三・元高知県議会議長は「良き日に降る雨もまた祝福です」と述べた。しかし、金滉植(キム・ファンシク)安重根義士崇慕会理事長(元総理)や広田一・参議院議員ら韓日両国の来賓が記念碑除幕のためにテントの外へ出ると、不思議なことに雨はぴたりとやんだ。李洛淵(イ・ナクヨン)元総理、ミン・ナムギュ安重根義士崇慕会副理事長、植田壮一郎・室戸市長、岡崎隆・黒潮ホテル会長らが記念碑の除幕を行うと、約80人の韓日参加者から大きな拍手が湧き起こった。

 日本では、宮城県の大林寺と青雲寺に安義士の追悼碑があり、佐賀県にもかつて安義士の記念碑が建てられたことがある。しかし、今回のように韓日両国の著名人が出席する中で記念碑が建立されたのは初めてのことだ。このため式典には、日本側から高知県関係者や県議会の現職・元議員ら約40人、韓国側から安重根崇慕会や独立運動家・崔在亨(チェ・ジェヒョン)追悼団体など約40人が参加した。日本の元首相1人も出席の意向を表明していたという。

 記念碑は、韓日友好促進の趣旨に賛同した岡崎会長が提供したホテルの敷地内に建てられた。主催した高知日韓近代史研究会は「安重根裁判に関与した高知出身の裁判官、検察官、弁護人、警察幹部、刑務所幹部、新聞記者らが安義士の獄中遺墨を日本へ持ち帰って保存し、その後遺族がこれを韓国へ寄贈したことで、韓日友好の架け橋となった」と説明した。また、安義士の自伝『安応七歴史』や未完の遺稿『東洋平和論』を筆写して世に広めた七条清美も高知県出身であると紹介した。

 研究会会長の西森元議長は「安重根と高知県出身者との縁を歴史の中に位置付けることが重要だと考え、この記念碑を建てた」と述べた。広田議員は祝辞とインタビューで「安重根に対する評価はさまざまだが、その人格と毅然とした行動が多くの日本人に感銘を与えたことは確か」とし「『東洋平和論』の精神のように両国が協力していくことを願う」と述べた。金滉植・理事長は「旅順監獄で東洋の平和と祖国独立への信念を貫いた安義士の志を後世に伝えた高知県の先人とその子孫に深く感謝する」と述べ「この縁が両国友好と東アジアの平和をつなぐ架け橋となることを期待している」と語った。

 高知県は、木浦で約3000人の孤児を育てた田内千鶴子氏(韓国名・尹鶴子〈ユン・ハクチャ〉女史)の故郷でもある。2018年に金理事長が高知県を訪問した際、「尹鶴子女史記念碑に続き、安重根義士関連の記念碑も建ててはどうか」と提案したことが、今回の事業の出発点となった。

 しかし、明治維新後の日本近代化に対する功績によって日本の国会に銅像が建てられている伊藤博文を狙撃した安義士に対しては、否定的な見方も少なくなかった。研究会は、安義士の東洋平和思想と遺墨寄贈の歴史を伝えながら説得を重ね、当初の計画より1年遅れで記念碑を完成させた。記念碑に取り付けられる銅板の文言は近く確定される予定で、その後、設置される。高知県と姉妹提携を結んだ全羅南道知事時代の経験を持つ李洛淵・元首相は「今日の除幕式は未来の可能性と現在の限界の双方を示す行事」とした上で「希望の種をまいたことに意義がある」と語った。除幕式に続いて行われた夕食懇談会は、韓日両国の和合を願い、参加者全員が手を打つ日本の伝統儀式である「一本締め」で幕を閉じた。

高知県=李河遠(イ・ハウォン)外交安保エディター

2026/06/12 09:47
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