「成功できない5つの理由」と笑われたサムスン電子、40年後にAI時代の覇王になった

投稿者: | 2026年7月8日

「40年間半導体事業で得た利益全体より今年1年の利益の方が多いと思います」。

サムスン電子半導体(DS)部門の金容寛(キム・ヨングァン)経営戦略総括社長が3日のタウンホールミーティングで投げかけた一言はサムスン電子の現在を圧縮する。7日にサムスン電子は4-6月期の営業利益(速報値)を89兆4000億ウォンと発表し、人工知能(AI)時代の覇者となった。

 サムスン半導体の出発は華麗さとは距離があった。1974年に李健熙(イ・ゴンヒ)先代会長の主導で韓国半導体を買収したが、会社は資本割れに陥るほど経営難に苦しめられた。半導体事業は莫大な投資が要求されたが、いつ収益を出すのかわからない厄介者だった。グループの中でもサムスン半導体への人事発令が出れば負け組扱いされた。

◇サムスン半導体の運命変えた「東京宣言」

運命を変えた決定は1983年2月になされた。米国と日本を行き来しながら半導体を未来核心産業と確信した李秉喆(イ・ビョンチョル)創業会長は東京で半導体事業進出を公式宣言した。いわゆる「2・8東京宣言」だ。市場の反応は冷笑的だった。「サムスンは3年以内に失敗するだろう」という嘲弄混じりの評価が出たほおか、日本企業は技術・資本・装備・市場・インフラの「5無」を指摘しながら「サムスンが半導体事業で成功できない5つの理由」という報告書まで出した。

だが李秉喆会長は「半導体事業は私の最後の事業でありサムスンの大黒柱になる事業」としながら考えを曲げなかった。サムスン電子は東京宣言から10カ月後に世界で3番目に64KbDRAM開発に成功し、1992年には世界初の64MbDRAMを開発してメモリー市場の地図を変えた。

その後日本のエルピーダメモリーと日立、ドイツのキマンダなど競合会社との「チキンゲーム」に耐え世界DRAM市場1位の座を固めた。サムスン電子メモリー事業部出身の元役員は、「メモリー事業は少し押されても破産に至る残忍なビジネス。サムスン電子は血だまりで泳ぐ白鳥」と話した。

DRAMに続きNAND型フラッシュ市場もサムスン電子の舞台になった。NAND型フラッシュを発明した東芝の後身であるキオクシアはいまではサムスンの後を追う境遇になった。キオクシアの太田裕雄社長は先月25日の株主総会で「数年かかっても必ず首位奪還を目指す」と明らかにしたが、現在世界のNAND型フラッシュ市場のシェアはサムスン電子が約29%、キオクシアが約14%で格差は2倍以上だ。

◇「反省文」書いて危機突破

危機もあった。AI時代を迎え広帯域メモリー(HBM)競争で停滞しエヌビディアへの供給が遅れた。半導体トップとして緊急投入された全永鉉(チョン・ヨンヒョン)副会長は2024年5月に「反省文」を発表し、根源的技術競争力復元を約束した。臥薪嘗胆の末にサムスン電子は2月に世界で初めてHBM4の量産と出荷に成功し技術競争力を回復した。

しかし安心するのは早い。中国長鑫存儲技術(CXMT)が破格な政府支援を基に追撃速度を上げており、日本は半導体復活を国家戦略に掲げて再挑戦に出た。米国もマイクロンを中心に自国のメモリー産業育成に力を入れている。

漢陽(ハニャン)大学融合電子工学部のパク・ジェグン碩座教授は「生産能力の側面では平沢(ピョンテク)キャンパスP51・2工場建設を終えた後、業況に合わせて竜仁(ヨンイン)半導体クラスターを稼動できる基盤も迅速に備えなければならない。技術的には3次元DRAMを最初に量産し競合会社との格差を広げなければならない」と注文した。

2026/07/08 08:49
https://japanese.joins.com/JArticle/351677

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