日本との対立が激しかった文在寅(ムン・ジェイン)政権時代、国務会議を終えた大統領が海洋水産部長官を別室に呼んで話した。「過去に独島(ドクト、日本名・竹島)にはアシカが生息していたそうだが、復元策を調べてほしい」。日本漁民の乱獲で絶滅したアシカを復活させれば、独島の領有権強化や国際世論戦で役立つという考えだった。もちろん復元が可能という前提があっての話だ。映画『ジュラシック・パーク』に登場するティラノサウルスの復元は、化石の中に恐竜のDNAが残っていたという想像上の設定で可能なことだった。DNAが残っているはずのないアシカの復元が不可能であることは初歩的な常識さえあればすぐに分かることだが、長官は大統領の指示を無視することはできなかった。所管研究機関に意見を求め、北大西洋に生息する近縁種を連れてきて飼育する代案まで検討するなど、「不可能」という報告を上げるために複数の段階を踏まなければならなかった。なぜこのような騒ぎが起きたのか。責任は誰にあるのか。「王様は裸だ」と誰も言えない童話のようなことは現実の世界でも時として起こるものだ。
今月初め、保健福祉部が開催を予告していた討論会が開催直前に中止された。李在明(イ・ジェミョン)大統領が継続的に関心を見せてきた脱毛治療への健康保険適用がテーマだったが、限られた財政の中では重症患者や希少疾患患者への支援こそが健康保険制度の趣旨に合うという反論が強い案件だった。完全になくなったのかどうかは分からないが、強引な推進を中断したのは幸いだ。大統領の関心事項でなければ、保健福祉部が最初からこの問題を重点推進課題として取り上げて急いで進めることはなかっただろう。その後、李大統領は妊娠中絶薬「ミフェプリストン」の導入問題を取り上げた。これも副作用や医療事故の責任といった医学的問題に加え、社会倫理的な問題まで絡む論争的な案件だ。海外からの個人輸入によって違法流通している現実を無視できるのかという問題提起も一理ある。しかしそれを大統領が公の場で発言してしまえば、誰もそれを単なる問題提起として受け取ることはない。大統領の検討指示がそのまま政策的な解決策として扱われてしまうのが我々の公職社会だ。
実際、多くのことが大統領の問題提起をきっかけに進められている。先日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の姜由楨(カン・ユジョン)首席報道官は、環境美化員の賃金が過少支給されていた事例1100件余りを摘発したと発表した。誰も注目していなかった問題を見つけ出して是正したこと自体は評価されるべきことだ。しかしなぜこれを青瓦台が発表したのだろうか。姜報道官は冒頭に「大統領の指示により」という言葉を付けた。他の参謀も「大統領の指示」という言葉を頻繁に口にする。すべての功績を大統領のものにしようとする忠誠心の表れだとしても、あえてそのように明らかにする必要があるのか、現場の担当部処に発表を任せる方が適切ではないのか、考えてみる問題だ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権時代、参謀らは「大統領が激怒した」という言葉をよく使っていた。大統領の命令を強調する表現だったのかもしれないが、国民には非常に不快な言葉だ。大統領の感情の起伏によって国政運営が揺らいではならないのはもちろんのこと、頻繁に怒りを表す大統領を国民が信頼するのは難しいからだ。たとえ大統領が激怒したとしても参謀はそのまま伝えるべきではなく、一定のフィルターをかける必要がある。朝鮮王朝実録にも王の怒りを臣下が隠したという記録がある。現在、青瓦台の参謀が頻繁に伝える「大統領の指示」は「激怒」という表現とは比較にならないものの、公職社会の自主性を低下させるだけでなく、民主国家において必ずしも適切なものとは言えない。
2026/07/23 15:36
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