親日派とその子孫が何のおとがめもなく豊かに暮らしている現実は、韓国人の怒りを大いにかき立てる。最近の女優ハヨンをめぐる問題もその一例だ。根深い反日感情と、4代続く医師の家系であるという事実が複合的に作用した結果だとみる。先日の光復節(解放記念日)の祝辞で大統領が言及した親日財産帰属法(親日反民族行為者の財産の国家帰属などに関する特別法)も、国民の怒りを受けて生まれたものだった。1997年、李完用(イ・ワンヨン)のひ孫が、当時の時価で30億ウォン(約3億4000万円)相当のソウル・北阿峴洞(プクアヒョンドン)の土地を不当に奪われたとして起こした訴訟で勝訴した後、その土地を売却してカナダに移住すると、世論の反発が一気に強まった。2005年に親日財産帰属法が制定され、それに基づいて2006~2010年に第1次親日財産還収調査委員会が活動し、親日派168人から、2373億ウォン相当の土地2359筆を還収した。民間団体「民族問題研究所」による2009年の『親日人名辞典』(全3巻、4389人収録)の刊行も、金大中(キム・デジュン)政権時代の2001年に始まった取り組みだ。
『親日人名辞典』については、朴正熙(パク・チョンヒ)や張志淵(チャン・ジヨン)らが収録されたことで議論を呼んだ。しかし、一連の過去清算の取り組みが、歴史的に必要な通過儀礼であることに異論を差し挟むのは難しい。それでも、ハヨンの曽祖父、安商浩(アン・サンホ)をめぐる親日論争には、釈然としないものがある。親日を性急に断罪しているのではないかとの疑念からだ。
民族問題研究所は14日、安商浩の親日行為について見解を示した。安商浩が評議員として参加していた大正親睦会は「内鮮融和」を掲げた、紛れもない親日エリートの集まりだったため、安商浩は明白な親日行為者だとした。
しかし、学界にはこれとは温度差のある見方も少なくない。大正親睦会が親日団体のリストに含まれていることは事実だ。親日財産還収の根拠となった「日帝強占下反民族行為真相究明に関する特別法」は、社会・文化機関や団体を通じて内鮮融和を積極的に主導した者を真相究明の対象と定めており、大正親睦会はそうした団体に当たるという。しかし実際には、現在でいえば韓米友好協会やライオンズクラブに似た団体だったとみる研究者もいる。日本の植民地統治当局と密接な関係を持たずに生きることもできたはずなのに、そうした関係を持つことをいとわなかったという点で、親日派に分類することはでき、当然批判することもできる。しかし、大正親睦会の評議員は、異論なく親日派の中核に分類される中枢院参議ほどの地位ではなかったということだ。だとすれば、現在のこの検証騒動は行き過ぎではないだろうか。
視野を広げてみると、ほかの分野でも親日行為の罪以上に厳しい批判を受けているケースは少なくないように思う。文学界では、未堂(ミダン)・徐廷柱(ソ・ジョンジュ)をその一例として挙げたい。徐廷柱については、文学界における親日清算に一画をなしたと評価される林鍾国(イム・ジョングク)の『親日文学論』(1966年)の付録に、親日作品の一覧が掲載されているにすぎない。第1詩集『花蛇集』への反響が予想以上だったとはいえ、1942年以降、計10編の親日的な詩や散文などを書いた当時は、まだ20代後半の新人だった。焦点となったのは李光洙(イ・グァンス)や崔南善(チェ・ナムソン)ら大物の親日文学者であり、徐廷柱の親日行為が個別に取り上げられることはなかった。若手作家をまとめて親日行為を紹介した『新人作家論 その他』でも、小説家の金東里(キム・ドンニ)は登場するが、徐廷柱の名前はない。
徐廷柱は1972年、一志社から刊行した『徐廷柱文学全集』に収録された「恥ずかしい話」で、親日詩を書いた当時のことを淡々と打ち明けた。実際にはそのような一文はないにもかかわらず、「日本が滅びるとは思わなかった」と書いたと誤って伝わり、徐廷柱を批判する際に決まって持ち出される。しかし、文章を読んでみると、徐廷柱は確信的な親日派というより、生計のためだったという印象を受ける。代表的な親日詩として挙げられる「松井伍長頌歌」を書いた1944年12月、徐廷柱ほどの知識人が日本の敗戦を予感できなかったはずがないとの批判もあるが、日本の敗戦を予見できなかった可能性があるとの異論もある。医師であれ詩人であれ、日本統治当局と距離を置いた人や積極的に抗日運動を行った人と比べれば、安商浩や徐廷柱が批判を免れないのは当然だが、情状を酌量する余地はある。
親日への断罪には、感情的な時効はないのだろう。少なくとも今はそう感じられる。だとすれば、安商浩と似たような事例が浮上するたびに、今のような騒動を繰り返さなければならないのだろうか。ミラン・クンデラの散文「霧の中の道」には、こんな一節がある。
「人間は霧の中を進む者だ。しかし、過去の人々を裁くために振り返る時、私たちは彼らが歩んだ道の上にいかなる霧も見ることができない。(中略)霧はもはやそこにはない」(『裏切られた遺言』)
2026年の今となっては、もはや明白に思える日帝強占期の歴史の行方も、当時の人々にとっては霧の中にあった。今後、親日を断罪する際には、そうした点も念頭に置くべきではないだろうか。
シン・ジュンボン/論説委員
2026/08/19 14:13
https://japanese.joins.com/JArticle/353783