1939年2月11日、日本の植民地に転落していた朝鮮全域で、日王の住む東京の方向を向いて1分間腰を曲げて遥拝する「宮城遥拝」が実施された。このことを告げる朝鮮総督府の機関紙「毎日新報」の4日付2面の記事には、「一分間宮城遥拝」という大きな漢字の見出しの下、次のような日程が記されている。
「皇紀2599年の紀元節(韓国の開天節に相当する日本の記念日)を中心に実施される日本精神発揚週間は、『国民精神総動員朝鮮連盟』の第1回事業として、来る8日より開始される。その週の11日の紀元節には午前9時を期して『国民奉祝の時間』と定め、2300万の民衆が一斉に1分間の宮城遥拝を行うこととなった」。総督府の日本語版機関紙である京城日報の3日前(1日付)の紙面には、人々が「皇居遥拝」なのか「宮城遥拝」なのか混乱しているため、用語を「宮城遥拝」に統一するという「お知らせ記事」も掲載されている。宮城遥拝はその後、国民精神総動員朝鮮連盟の積極的な官制運動の結果、すべての国民が朝に行うべき「聖なる」日課として定着する。
正確な遥拝時間を告げるために朝鮮総督府が使用した方法は「サイレン」だった。街で「トゥウ~」という音が鳴ると、人はもちろん車や馬車までもが止まり、東京のある東に向かって腰を曲げなければならなかった。当時はこのようにサイレンを、正確な時間を告げるために使っていた。早逝した詩人の李箱(イ・サン、1910~1937)は小説『翼』(1936)で、「朦朧(もうろう)としているのはアスピリン(解熱剤)のせいかアダリン(睡眠薬)のせいか」と混乱する主人公が、三越百貨店(現在の新世界百貨店本店)の屋上で「正午のサイレン」の音で正気を取り戻す様子を描写している。
遥拝とは「遠くから拝む」という意味である。この聞き慣れない言葉についていきなり書いたのは、光復節の先月15日に日本の高市首相が演出した奇怪な姿に、心から戸惑いを覚えたからだ。外交に波紋が及ぶのを懸念して靖国神社を参拝できなかった高市首相は、その日正午に予定されていた政府の追悼式に出席する前に、会場である日本武道館の駐車場で北西を向いて立った。高市首相はそこから500メートルほど離れた神社に向かって頭を2度下げ、2度かしわ手を打ってから再び頭を下げる「1人遥拝」を行った。その様子が滑稽に見えたのは1人や2人ではなかったようで、朝日新聞は2日後の17日に「薄っぺらに感じるのはなぜだろう」と嘆いている。時は少々過ぎたが、ぜひ覚えておこうという意味で記しておく。
2026/09/02 15:00
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/57075.html