独立リーグ出身の日本人投手と日本社会人リーグを経験した投手が会った。SSGランダースの白川恵翔(23)とハン・ドゥソル(27)のブロマンスがファンの注目を集めている。
SSGはロエニス・エリアス投手の「一時代替外国人選手」として白川を迎えた。四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに所属する白川はKBO(韓国プロ野球)リーグデビュー戦だった1日のキウム・ヒーローズ戦で5イニングを3被安打無失点に抑え、勝利投手になった。7日の釜山(プサン)ロッテ・ジャイアンツ戦では1イニング1/3を8失点と崩れたが、13日の起亜タイガーズ戦では5イニングを3被安打1失点でシーズン2勝目を挙げた。
白川は素朴な田舎の青年のようなイメージだ。実際、人口13万人ほどの徳島県東みよし町出身だ。パスポートも韓国に来るために初めて作り、大都市での生活も初めてだ。19日、大邸(テグ)でのサムスン・ライオンズ戦を控えて会った白川は「田舎出身というのは本当」と言って笑った。
SSGのファンは白川の姿を見て「カムジャ(ジャガイモ)」というニックネームを付けて応援している。白川は「実感がない。球団の動画のコメントがハングルなのでよく分からなかったが、徳島インディゴサックスの韓国人同僚(チャン・ヒョンジン)が訳してくれて『ジャガイモ』と言いながらからかった。韓国ではかわいいという意味があるのでいい」と笑顔を見せた。
韓国のすべてのことが新鮮な白川には通訳のサポートが欠かせない。渡辺正人守備コーチもいる。韓国選手の中でも白河をサポートする同僚がいる。左腕救援投手のハン・ドゥソルだ。光州(クァンジュ)一高を卒業したハン・ドゥソルは2015年のドラフトで指名を受けられず、日本の履正社国際医療スポーツ専門学校に入学した。学業をしながら社会人野球でプレーしたハン・ドゥソルは2018年、KTウィズ育成選手として苦労してプロ球団のユニホームを着た。
似た経験をしたハン・ドゥソルにとって白川は「助けたい弟」だ。ハン・ドゥソルは「高尺(コチョク)球場でのキウム・ヒーローズ戦で共に登板した」とし「白川を見ながら昔のことを思い出した」と語った。ハン・ドゥソルは「日本に行った最初の年が最も大変だった。言葉が通じず、携帯電話のアプリケーションで翻訳して理解した。午前に野球をし、午後には日本語の授業を受けながらアルバイトをした」と振り返った。「最近、私を白川と錯覚するファンがいた」とも伝えた。
日本生活を経験したことでハン・ドゥソルは日本語で会話ができる。「日本での生活が1年過ぎると言葉が通じるようになった」というハン・ドゥソルは「助言というよりは必要なことがあれば助けて、食事を1回でも一緒に食べようとしている」と話した。
一方、白川はまだ韓国語が話せない。白河は「カムジャ」という言葉しか分からないとし、笑いながら「全く上達していない」と語った。金広鉉(キム・グァンヒョン)をはじめとする同僚とは一緒に食事をしながら親しくなった。
白川は「躍動的なタイプ」の投手だ。身長が172センチと低いが、高いところからボールをリリースする。直球の垂直ムーブメントは50.2センチと最上位圏だ。球速も最高150キロと速い。打者としては一般的な軌跡よりボールが浮き上がる印象を受ける。朴賛浩(パク・チャンホ)が全盛期に投げた、いわゆる「ライジングファストボール」と似ている。
2回目の登板で崩れたもののすぐに立て直した白川に力を与えたのはベテランの秋信守(チュ・シンス)だった。白川は「技術的な練習よりもメンタル的な面を改めようとした。秋信守選手がいろいろと話してくれて、『自分がしてきたことが正しいので自信を持ってやればいい』と言われた。その時から帽子に『信』という字を書いている。それを見ながら胸に刻んでいる」と語った。
白川とハン・ドゥソルは休みの日に一緒に弘大(ホンデ)に出かけて楽しい時間を過ごしたりした。白川が好きなスポーツ店に行き、ハン・ドゥソルがティーシャツをプレゼントした。白川は「ハン・ドゥソル選手と一緒にいるだけで楽しい」と語った。
SSGの関係者はハン・ドゥソルを「誠実王」と呼ぶ。球場に早く出てきて遅くまで練習をするからだ。KT入団後に放出を経験し、またSSGで機会をつかむという道を歩んだからだ。ハン・ドゥソルは「今まで練習してきたことを着実にするだけ。プロだから使命感を持って努力する」とし「つらいと思ったことはない。マウンドに立つのも楽しい。楽しみながらチームのために投げたい。ノ・ギョンウン先輩がブルペン投手のルーティンを教えてくれたので毎日している」と伝えた。
ハン・ドゥソルには「歌王」のイメージも生じた。先月15日、ホーム試合が雨天中止になるとファンのためにマイクを握って歌の実力を見せた。イム・ジェボムの『サラン(愛)』を熱唱したハン・ドゥソルにファンは熱い拍手を送った。ハン・ドゥソルは「その日以降、ファンによく知られるようになり、良い記憶として残っている。機会があれば優勝をして必ずまた立つ」と約束した。
「代替外国人選手」がプレーできる期間は最長6週間だ。白川に残された時間は長くない。白河は「残りの期間、チームができる限り勝てるように頑張りたい」と語った。デビュー後初めて1軍定着選手になったハン・ドゥソルも同じ考えだ。ハン・ドゥソルは「できるだけ多くの試合で出たい」と話した。
2024/06/20 11:30
https://japanese.joins.com/JArticle/320150