息子から受け継いだ韓日交流25年 李秀賢さん母「互いに理解を」

投稿者: | 2026年10月19日

【釜山聯合ニュース】2001年に東京のJR新大久保駅のホームから転落した人を救おうとして亡くなった韓国人留学生、李秀賢(イ・スヒョン)さん(当時26)の名は、25年が過ぎた今も韓日交流の象徴として残り続けている。

 李さんの母で、LSHアジア奨学会名誉会長の辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(75)は息子の遺志を継ぎ、奨学事業と民間交流活動を通じて韓日両国の懸け橋となっている。

 高麗大貿易学科の学生だった李さんは2000年に休学して日本に留学し、日本語を学びながらアルバイトをしていた。

 01年1月26日、新大久保駅で酒に酔ってホームから転落した男性を助けようと李さんと関根史郎さん(当時47)が線路に飛び降りたが、3人とも電車にはねられて亡くなった。

 当時、韓国の青年の犠牲は日本社会に大きな衝撃と感動を与えた。朝日新聞などは一面記事で伝え、葬儀には当時の森喜朗首相が参列した。

 韓国でも多くの人が李さんの死を悼み、韓国政府は李さんを「義死者」に認定し、国民勲章石榴章を授与した。義死者は、職務外の行為として他人の生命、身体または財産を急迫した危険から守る過程で死亡した人を意味する。

 事故が起きた日は、辛さんにとって到底受け入れることができない悲報を聞いた日として残っている。

 先ごろ聯合ニュースのインタビューに応じた辛さんは「夜遅くに電話が鳴りました。夫は息子が大けがをしたとし、朝早く日本に行くと言いました」と振り返った。

 「日本の空港に到着し、大勢の報道陣を見ても息子が亡くなったとは思っていませんでした。もし、重傷だとしても生きていてほしいと願ったのですが…」と声を詰まらせた。

 韓日両国からの哀悼の意は、その後、ほかの青年たちの学びの支援へとつながった。

 李さんの両親は日本市民の街頭募金などによって集められ、送られてきた寄付金をどのように使うべきか悩んだ。

 息子が終えることができなかった学業を、ほかの留学生たちは最後まで続けることができるよう支援したいという思いがLSHアジア奨学会の出発点だった。

 李さんの父、李盛大(イ・ソンデ)さん(19年死去)が、息子が通っていた日本語学校に支援の意向を伝えると、一度限りの支援で終わらないよう共に参加したいという希望者が集まった。

 こうして李秀賢さんの名を冠したLSHアジア奨学会が02年に設立され、その後、日本語を学ぶアジアの留学生の学業を支援してきた。

 同奨学会によると、これまで支援した留学生は1200人を超える。

 辛さんは奨学会について、大きな基金を通じて奨学金を支給する方式ではなく、毎年、日本で集められた後援金全額を学生たちに分ける方式で運営されているとし、「25年がたった今も日本の人々の寄付が続いています」と説明した。

 後援者には感謝のカードを送っている。1年に300人に送ったこともあり、昨年は約200人に送ったという。

 辛さんは「韓日関係が冷え込んだ時期も、新型コロナウイルスが流行したときも奨学事業は一度も中断されたことはありません。とてもありがたいことです」と、日本の後援者に対し謝意を示した。

また、辛さんは息子の死後に、日本で暮らす韓国人に対する見方が変わったという話を多く耳にしたという。

 李さんを記憶する青年たちの集まりは、故郷の釜山でも続いている。

 釜山韓日文化交流協会が10年から始めた「美しい青年 李秀賢の集い」には毎年、韓国の大学生と日本人留学生が参加している。先月19日には釜慶大で李さんを追悼する韓日交流キャンプが開かれた。

 長く続く活動は両国の公式の交流の場でも注目を受けた。

 辛さんは24年、韓日の友好親善や相互理解の促進に貢献した功労が認められ、日本政府から旭日双光章が贈られた。

 昨年9月には、当時の石破茂首相が釜山を訪れた際に李さんの墓参りを行い、辛さんとも面会した。日本の首相が李さんの墓参りをしたのは初めてだった。

 今後、韓日両国がどのように交流していくべきかとの質問に辛さんは「易地思之(相手の立場に立って考えること)」と答えた。

 互いの立場を考えれば理解できないことはないのではないかとし、「まずは互いの置かれた立場を理解しようとする努力」だと強調した。「もちろん100%完全に理解することはできません。しかし、理解しようと努力すればそれほど難しいことではないと思います。そうしてこそ心が開かれます」と語った。

 辛さんは、息子がどのようにして韓日交流の象徴になったのかを両国の若者世代に広く知ってもらえるよう交流と教育のための空間が作られることを願っている。

 特定の個人や団体の努力だけに頼って活動を続けるのには限界があるため、国が乗り出してくれるよう望んでいる。

 辛さんは「私が活動できなくなった後も息子を通じて行われる両国の交流が続いてほしいです。年を取り、(記念事業がなくなってしまうのではないかと)焦る気持ちが募るので、ぜひ政府が乗り出して、検討してもらいたい」と語った。

2026/10/19 10:00
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20261012003800882

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