千年超えて土中に埋もれていた観音像…ついに還ってきた眩い黄金色=韓国

投稿者: | 2024年7月12日

 まばゆい黄金色のきらびやかな金銅仏像は、1000年以上も山奥の地中に埋もれていた。

 8~9世紀、新羅・慶州の最高の職人たちが衆生を救ってほしいと祈り、真心で作った観音菩薩立像だった。その運命は過酷だった。慶州から江原道襄陽郡(ヤンヤングン)の山奥の寺に移され、修行僧たちの視線を浴びていたが、山崩れで寺と共に埋没してしまった。山奥の地中で光と形を失い崩れていた暗黒の歳月は、21世紀になってようやく解けた。9年前、奇跡的に考古学者のショベルに仏像の胴体がかかったのだ。全面が緑と土にまみれた仏像は、5年以上の保存科学者たちの大手術の末に緑を取り除き眩しい黄金色を取り戻した。散乱していた台座と光背、華麗な装身具もほとんど像と一体になることができた。

 今年5月から国立春川博物館の単独特別展「再び訪れた新羅の光」で披露されている江原道襄陽の禪林院址から出土した統一新羅時代の金銅菩薩立像(宝物)は、眩しい姿の中にこうした秘史を持っている傑作だ。2015年に襄陽禪林院址で発掘された菩薩像で、長い保存復元処理の過程を経て、朝鮮半島古代仏像の中で最もきらびやかな黄金色を持つ姿が蘇った。台座と光背を含めて高さ66.7センチのこの観音菩薩立像は、出土地が明確な統一新羅の小型金銅像の中で最も大きいだけでなく、台座、光背、装身具を全て備え、髪の毛、唇、ひげなどに石彩と墨で彩色した跡までそのまま残った唯一の仏像だ。

 緑青を除去するだけで4年以上かかり、ついに2021年に国立文化財復元センターで復元を終え、昨年仏教中央博物館で初めて大衆に公開された。初公開ではないが、今回の博物館の展示は昨年の展示よりはるかに格別だと言える。国立博物館の保存専門家たちが力を合わせて、像の背面に残った光背の細部と一部の瓔珞(玉装身具)などの復元まで終え、低反射ガラスでできた特製ショーケースまで備えて360度回って仏像の細部をより完全な姿で鑑賞できるようになった。

 禪林院址の菩薩像は、三国時代と統一新羅時代の古代仏像の中で装飾性が最も優れており、華麗な作品として筆頭に挙げられる。装飾性を生かすのは、幾重もの空間にわたって装飾物を囲みながら視覚的効果を極大化することが常道だが、禪林院址の仏像はこうした技法を最大限に発揮し、体の装身具はもとより台座の様々な器物までそれぞれ別に分離された工芸小物が付いている。光背の炎模様と生動する植物の唐草(つる)模様を透かし彫りで処理し、菩薩本体の華やかな姿と調和させたのも絶妙だ。

 間近で像を見ることができるので、髪、目元、ひげを墨と藍色の顔料を塗って表現したことがわかる。古代朝鮮半島産仏像の顔と体の細部に墨と顔料を使った跡が明らかになったのは、この禪林院址の金銅仏像が唯一だという点で注目すべき部分だ。

 金銅菩薩立像の首、胸、腹の部分も目を引く部分だ。柔らかく流れ落ちる布の裾を背景に、つぼみ状の装飾がついたネックレスがあり、その下の腹部には精巧な作りの四角形の装身具が豪華な装飾美の極みを見せてくれる。展示のために時間をかけて梵鐘のうなりのように強弱を繰り返す特製照明の効果も立体的な鑑賞を助けてくれる。

 今年上半期、京畿道龍仁(ヨンイン)の湖巖(ホアム)美術館仏教美術展の目玉として展示された後に日本に帰った百済金銅観音像とこの仏像を比較する楽しみもある。いずれも新羅と百済の仏教信仰と芸術性、技術力が反映された絶頂の作品と言えるが、子供のように純粋で澄んだ百済観音像の無垢な表情に比べ、200年後に出た禪林院址の観音像は厳粛でありながらも奥ゆかしく慈しみ深い絶対者の表情をしている。

 厳粛だが、胴体は世俗化する中国の唐宋代仏像や極度の恐怖心を抱かせる表情で悪鬼を制圧する同時期の日本の平安仏像とは明確に区分される新羅ならではの特徴だ。5~6世紀新羅古墳の黄金の金冠と装身具から見える精巧な金属細工術の伝統を継承しながらも、図像の側面で後代さらに深く円熟した統一新羅仏像芸術の様相を端的に示す展示会といえる。28日まで。

2024/07/11 19:05
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/50577.html

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