「世界遺産問題は歴史戦に等しい」。日本の右翼政治団体が2022年に佐渡鉱山(佐渡島の金山)をユネスコ世界遺産の候補にするよう岸田政権に圧力をかけたときに用いた表現だ。植民地時代に1500人あまりの朝鮮人を強制動員した苦痛の場所である佐渡鉱山が、被害国である韓国の同意なしに世界遺産に登録される可能性はなかった。それでも、日本が加害の歴史を認める余地もあるわけではなかった。この矛盾のなか、日本内部でも「できないはずなのに、なぜ進めるのか」という懐疑論がかなりあった。しかし、佐渡鉱山は先月、世界遺産の登録に成功した。加害国が歴史戦争に勝った過程は、被害国、正確には尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権が外交と歴史を放棄した過程だった。
佐渡鉱山の争点は、韓国と日本の過去の歴史の争点全体を通じて、韓国が最も有利な立場につけた問題だった。日本は約束を守らないという噂が広がっていたし、韓国は被害国の地位を越えて投票権まで得たからだ。日本は2007年以降、近代産業施設を世界遺産に登録しようとする試みを続けていたが、そのなかに朝鮮人が強制動員された施設があった。最初は2015年に登録された軍艦島(端島)だった。日本は登録の過程で「朝鮮人たちが意思に反して動員され、苛酷な条件のもとで強制労働を行った」という事実を公式に認め、「犠牲者の追慕施設を設置する」と約束することで、ようやく登録に成功できた。朴槿恵(パク・クネ)政権期の重要な成果だった。
約束は守られなかった。登録から5年が経過した2020年になって「産業遺産情報センター」という名称の展示施設がようやく設置された。事前申請なしには入場できず、内部撮影も禁止された閉鎖的な施設だった。何より展示内容は露骨な歴史歪曲に満ちていた。ユネスコは日本が約束を破ったことに「強い遺憾」を繰り返し表明した。反面、韓国は2023年、全員一致で世界遺産登録が決定される仕組みもとで、投票権を持つ委員国になった。
圧倒的に有利な条件のもとで、韓国は歴史に目を閉ざしている日本に「そんなことはするな」と言って説得し、「苦痛の歴史もあわせて記憶しなければならない」という普遍的な価値を世界に想起させることができた。結果は、2015年の軍艦島のときよりも大幅に後退し、事実上何も得られなかった。尹錫悦政権の大統領室は「日本から私たちが望むものを勝ち取った」と言っているが、嘘に近い。外交を放棄しておきながら、外交をしたという嘘の話だ。
尹錫悦政権は歴史を放棄した。佐渡鉱山の登録過程で韓国は3点要求すべきだった。1点目は、2015年の約束をすべて適切に履行するという約束だ。2点目は、佐渡鉱山で行われた朝鮮人強制動員の事実に対する日本政府の公式な立場の表明だ。「朝鮮半島から来た勤労者たちがここで苦労した」というような脈絡を削除した巧妙な歪曲ではなく、2015年の軍艦島登録の際に韓国政府が要求して日本政府が確認した強制動員(強制労働)の事実が明確に含まれた立場表明であるべきだった。3点目に、軍艦島の裏切りを繰り返させないために、世界遺産地域の「内部」に「強制動員」の事実が明記された展示施設の「即時」設置の約束がなされるべきだった。
3点のいずれも実現できなかった。1点目と2点目はまったくなかった。「日本政府の既存の約束を銘記」「朝鮮人労働者の追悼」のような無力な修辞が言及されただけだ。
3点目については、浅はかなトリックで本質を隠した。尹錫悦政権は犠牲者の展示措置が「事前」に履行されたと高らかに主張した。成果だというのだ。そうなのだろうか。世界遺産地域から2キロメートルも離れ、すでに存在していた郷土博物館の片隅に、強制動員関連の明示的な表現は一言もない展示物が急造された。世界遺産登録のために佐渡鉱山の遺産地域内に最新の展示空間が新設されたが、実際にはその施設には朝鮮人強制動員の内容はない。軍艦島の場合は知らずにだまされたとすれば、佐渡鉱山の場合は知っていながらもだまされている。
被害国が外交と歴史を放棄した場合、悲劇は被害国にだけ限定されない。ユネスコ世界遺産の登録審査の核となる基準の1つは「全体の歴史」だ。肯定の歴史だけでなく、不正と反省の歴史まですべて加えてこそ、世界の人たちと分かちあう遺産になれるということだ。そのようにして記憶してこそ、人類は前進できるのだ。この普遍的な価値が佐渡鉱山で毀損された。被害国が歴史戦争で負けることは、だからこそ、すべての人にとっての悲劇だ。
2024/08/07 17:39
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