親日派を擁護してきた人物が独立記念館長に任命され、独立運動家団体が記念式への不参加を宣言するなど、光復節79周年の意味が色あせた中、せめて映画館で植民地の歴史の正しい認識が見られるというのは小さな慰めだ。1923年の関東大震災直後に発生した朝鮮人虐殺と、日帝強占期に日本に出稼ぎに行った幼い女工たちに光を当てた2編のドキュメンタリーが公開される。
6661対233。関東大震災後、当時の上海臨時政府の発表した、虐殺された韓国人の数と、日本政府が発表したそれだ。この差は解放後も、植民地の歴史に対する認識の違いとして今に至るまで続いている。233という数は単にわい小化のみを意味するものではない。2017年に日本の安倍晋三首相は、関東大虐殺に日本政府が関与したことを把握しうるいかなる記録も発見されていないと述べている。
キム・テヨン、チェ・ギュソクの両監督が共同演出した「1923関東大虐殺」は、日本がわい小化した当時の惨状と共に、日本政府の責任を確認しうる日本国内の資料を公開する。キム監督は、韓日近代写真収集家のチョン・ソンギルさんに見せられた1枚の写真、当時横浜に停泊していた英国海軍の軍人が撮った凄惨な虐殺写真を見て衝撃を受け、映画を企画した。
4年間、日本国内の歴史研究家と消し去られた歴史の痕跡を追跡する市民活動家たちを訪ね歩き、日本の防衛省に所蔵される軍の文献を閲覧することで、当時の資料を探し出した。研究者たちは、3・1運動などの朝鮮人の独立運動が大きくなったことで日本政府に生じた恐怖が、関東大震災後に事実上民間虐殺を誘導する政府発の流言飛語として発現したと証言する。映画は、地震直後に内務省の警保局長が各地方長官(知事)に対して送った「地震を利用し、朝鮮人は各所に放火し、不逞(ふてい)の目的を遂行せんとし」との電報を示す。うそをねつ造して民間人を扇動したのだ。
当時、朝鮮人を体系的にえり分けて生きたまま焼き殺すなど、虐殺現場を見た人々は日記に、軍人や警察官が現場にいたことを残してもいる。映画は公式資料、個人の日記、報告書、証言集などを探し出すとともに、当時の米国の新聞や政府の文書まで公開し、当時日本がどれほど組織的に朝鮮人を虐殺し真実を隠ぺいしてきたのかを検証する。15日公開。
今月7日に公開された「朝鮮人女工の歌」(イ・ウォンシク監督)は、これまであまり知られていなかった、日本で働いていた女工たちを扱った映画だ。1910年代から貧しい家族を食べさせるために、または親に従って大阪行きの船に乗った10~20代の女性たちが、つらい労働をしながら生活した紡織工場の記憶を追う。今は90歳を超えた証言者たちの証言とともに、映画は資料集などに残された女工たちの記憶を俳優たちが朗読するというやり方で当時を再現する。映画「帰郷」(2016)に出演した在日同胞4世のカン・ハナら、当時の女工と同年代の俳優たちが参加し、22人の声をスクリーンに載せている。
厳しい労働、非人間的な待遇、非衛生的な環境で苦しむ暮らしではあったものの、「朝鮮人女工の歌」は当時の女工たちを時代の犠牲者として描いてはいない。食べる物がなくて日本人が捨てた牛や豚の内臓を食べたため「ブタ」と嘲笑され、朝鮮人男性管理者たちの団体「相愛会」に二重に搾取され、不当な労働条件にストライキで立ち向かった朝鮮女工たちの強じんで主体的な生活は、日帝強占期の朝鮮女性を扱ったドキュメンタリーとして一歩先を行く成就を示すとともに、深い余韻を残す。
2024/08/13 14:29
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/50843.html