岸田首相の一言で渡された浮島丸乗船者名簿…日本政府はなぜ79年間隠ぺいしたのか【コラム】

投稿者: | 2024年9月11日

 日本政府は岸田文雄首相の訪韓前日の今月5日、終戦直後に京都の舞鶴湾で沈没し、朝鮮半島出身の労働者ら多くの人が犠牲になったとされる「浮島丸」の乗船者名簿の一部を韓国政府に提供した。日本政府が確保した75点の名簿資料のうち、精査を終えた19点だ。

 浮島丸は1945年8月、韓国に帰国する在日韓国人を乗せて釜山港に向かう途中に沈没した悲劇的な船だ。正確な調査にはまず犠牲者名簿が必要だったが、日本政府は79年間、それを隠ぺいしてきた。そして、岸田首相が在任中最後の訪韓を控え、ようやく最初の手がかりが得られた。

 退任を3週間後に控えた岸田首相は、乗船者名簿の提供を首相本人の善意だと考えているかもしれない。しかし、浮島号沈没のように、日本による植民地統治時代に日本に行き犠牲になった朝鮮人の悲劇はほかにも多い。 関東大震災、軍艦島、佐渡鉱山、長生炭鉱、高島海底炭鉱、夕張炭鉱、飯塚麻生炭鉱、三池炭鉱、ウトロ飛行場、長崎造船所、八幡製鉄所事件など数え切れない。例えば、1919年の関東大震災における朝鮮人虐殺は死亡した朝鮮人の氏名、住所どころか、死亡・行方不明者の数も不明だ。朝鮮総督府の「関東地方地震の朝鮮人現況」には「殺害された朝鮮人数」という統計項目に「東京で約300人、神奈川県で約180人」といった記録があるが、日本政府の公式な立場は依然「事実関係を明確にする記録がない」というものだ。

 長生炭鉱は1942年に崩壊した海底炭鉱だ。朝鮮人徴用工136人が水没死したと推定される。長生炭鉱に関しては、日本政府ではなく、市民団体が犠牲者の名前を地道に解明し、少なくとも死者の氏名が公表された。過去の悲劇的事件に対する情報公開に日本政府が消極的だという現実が、韓日関係が依然として歴史の足かせから抜け出せない一因だという点を日本政府も認識すべきだ。

 岸田内閣は日本を訪れる韓国人に対する事前入国審査制度の導入を推進すると表明した。やはり訪韓を契機に「善意」を強調したいようだ。韓国人が金浦・仁川空港などで日本の審査官による入国審査をあらかじめ受けるので便利になるのは事実だ。しかし、日本は来年から台湾からの訪日客に対しても同様の制度を導入する。年間3000万人以上の外国人観光客が集まり、日本の主要空港のシステムがこれ以上対応できない状況なので、事前入国審査で業務を分散する必要があるのだ。

 岸田首相の「サヨナラ訪韓」を見るにつけ、「ありがた迷惑」という日本の表現を思い出した。「ありがたいが迷惑」という意味だ。退任を控えた岸田首相にとって、今回の訪韓は韓日関係の改善という本人の成果を確認する上ではちょうどいいイベントだったかもしれない。しかし、恩着せがましい善意に「ありがとう」と礼を言うには、日本政府が解決できなかった長年の宿題があまりにも多い。

東京=成好哲(ソン・ホチョル)支局長

2024/09/11 08:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/09/09/2024090980022.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)