3日、東海(トンヘ、日本名・日本海)上で今年最初の海上訓練に参加した「広開土大王(クァンゲドデワン)」(3200トン級駆逐艦)の艦砲が仮想の敵艦に向けて轟音を響かせながら火を噴いた。同じ時間、西海(ソヘ、黄海)では韓国哨戒艦「天安」(3100トン級護衛艦)、南側海上では「慶南(キョンナム)」(3100トン級護衛艦)を筆頭に射撃訓練と戦術機動訓練が進められた。新年に毎年実施される定例訓練だが、今年は特に目を引いた。12・3非常戒厳事態と尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領に対する弾劾訴追以降、初めて韓国軍が大規模訓練を実施し、これを公開しながら海上防衛力を誇示したからだ。
外交・安保分野を取材してから10年以上経つが、記事に習慣のように書いてきた「確固たる対応態勢維持」という表現を最近ほど重く感じることはなかった。戒厳事態で職務停止した将星(進級予定者含む)は9人、階級章の星の数は19個にのぼる。ほとんどが対北朝鮮抑止および挑発対応、首都圏防御などを担当する核心職位だ。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長にとってこれほどの好材料はない。「直ちに・強力に・最後まで」報復を叫んだ人たちが除去された。ロシアに派兵された北朝鮮軍が何をしても韓国は対応する余力が十分でない。金正恩委員長としては大きな負担なくロシアのプーチン大統領を支援しながら、近く発足するトランプ米政権への対応戦略を立てることが可能になった。間欠的な挑発を敢行しながら金正恩委員長はおそらく笑っているはずだ。
金委員長が笑う本当の理由は単に軍のリーダーシップ不在のためではない。戒厳事態で乱れた軍の紀綱と低下した軍の士気が大きな問題だ。
戒厳直後の先月6日、戒厳軍を指揮した郭種根(クァク・ジョングン)特殊戦司令官と李鎮遇(イ・ジンウ)首都防衛司令官は野党議員が進めるユーチューブ放送に出演して「懺悔」した。「国会議員を引っ張り出せという指示には従わなかった」「(2次戒厳)指示が通達されても拒否する」という言葉はあきれるものだった。戒厳に成功していれば堂々と手柄を立てていた彼らが部下に申し訳ないと涙ぐんで話す姿は見るに忍びなかった。
わけも分からず投入されて「戒厳軍」という恥を抱えなければいけないのも、陸軍士官学校に通うという理由で嘲弄の対象にならなければいけないのも彼らではない。もう軍の正当な対北朝鮮抑止活動にも「北風」という色レンズがはめられる。正常な警戒活動のための部隊の移動も不純な目的の動員のように疑いの目で見られる。
時計を2020年6月の米国に戻してみよう。黒人の人権保障を要求する「ジョージ・フロイド抗議運動 」が激化すると、当時のトランプ大統領は「反乱法」を発動して連邦軍の投入を強行しようとした。エスパー国防長官は記者会見でこれに公開的に反対した。「国防長官としてだけでなく元軍人としても言うが、現役軍を法執行に投入する選択肢は最も緊急で深刻な状況に限り最後の手段として使わなければならない。今はそのような状況ではない」。抗命はこのようにするものだ。
トランプ大統領は当時セントジョンズ教会を訪れて聖書を持って立つ「認証ショットイベント」をするため、平和デモ隊を催涙弾などを動員して解散させた。彼の意図を把握せずに遂行したマーク・ミリー統合参謀本部議長は直後の国防大卒業式のメッセージでこれを後悔した。「私がその場にいたこと自体が軍が国内政治に関与するという印象を与えた。私はそこにいてはならなかった。制服を着た将校として失敗を通じて教訓を得た」。謝罪はこのようにするものだ。
昨年12月3日、韓国にエスパー氏やミリー氏のような指揮官がいなかったのは不幸なことだ。しかし韓国軍はそんなものではないという点は幸いだ。
今は信頼を落としているが、2002年6月の第2延坪海戦で北朝鮮軍の集中銃撃に最後まで応戦し、20ミリバルカン砲の引き金を握ったまま戦死したチョ・チョンヒョン上士、ファン・ドヒョン中士がいるその軍だ。2015年8月に北朝鮮が埋設した木箱入り地雷を踏んで両脚に大けがを負ったのを見ても最後まで銃を持って北朝鮮兵を探して立ち向かおうとしたハ・ジェホン予備役中士がいる軍だ。年末の務安(ムアン)空港チェジュ航空惨事現場で銃でなく手鍬を持って犠牲者の遺留品一点も逃さないように現場を捜索した特殊戦司令部の将兵がいる軍だ。
いつも答えは初心にある。軍人が入営したり将校が任官したりする時、「国家と国民のために忠誠を尽くす」と宣誓する。忠誠を尽くすべき対象は権力者でなく「国家」と「国民」だ。これを忘れた瞬間、後輩と部下に恥をかかせ、政治家ユーチューブに出て涙を絞り出す三流指揮官、三流軍人に転落することになる。
ユ・ジヘ/外交安保部長
2025/01/07 10:59
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