日本の石破茂首相が8月に「戦後80年談話」を出さないことにしたという先月末の日本メディアの報道をみて、少し失望感を感じた。尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領の12・3内乱と米国のドナルド・トランプ大統領の自己破壊的な「相互関税」で、世間の関心からこのところ遠ざかっているが、今年は、乙巳条約(第2次韓日協約)120年、解放80年(日本の敗戦80年)、韓日国交正常化60周年が重なる年だ。
トランプ大統領の暴走によって、米国中心の「一極体制」が事実上崩壊し、「価値を共有する最も近い隣国」である日本と安定した友好関係を維持することが、韓国外交のきわめて重要な課題になってしまった。このような状況のもとで、石破首相が、韓国人が重視する「歴史問題」で進展した認識を明らかにするならば、われわれも快く日本に心を開いた協力関係に進むことができるのではないかと期待していたのだ。
振り返ってみると、1965年の国交正常化以降、韓日関係は様々な局面を経てきた。1つ目は冷戦期だった。冷戦の厳しい条件が、両国に協力を強制した。両国は歴史問題を封印して経済協力の道を開いた、いわゆる1965年請求権協定を通じて、国交を正常化した。それによって韓国経済が成長したことは事実だが、われわれの心の一方には、民族のうっぷんを自然に晴らせなかったという深いわだかまりが残った。
2つ目は脱冷戦期だった。1980年代後半に冷戦が終結したことで「外部の敵」が消えた。この驚くべき国際環境の変化のもとで、両国関係は大きく発展した。韓国は経済成長と民主主義を同時に達成した堂々たる中堅国になり、日本も平和憲法を大切にして、村山談話(1995)のような反省的な歴史認識を出すことができる成熟した国家の枠組みを維持していた。両国は1998年10月に相互を対等なパートナーと認定する韓日パートナーシップ宣言を出すことになる。両国の大衆文化が相互開放され、日本では韓流ブームが沸き起こった。
過去の良き時代は、「新冷戦」の登場とともに幕を下ろす。2010年代に入りG2に成長した中国が、東シナ海や南シナ海などで一方的な言動を日常的に行い、東アジアの安全保障環境が急変したのだ。日本はこの脅威に対抗するために、米国との同盟強化に乗り出す一方、韓米同盟と日米同盟を一つにまとめる韓米日三角同盟の構築を試みた。あわせて安倍晋三元首相は「安倍談話」(戦後70年談話)を出し、「子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と宣言することになる。歴史はもう忘れて、北朝鮮と中国に対抗し、安全保障協力を強化すべきだと声を上げたのだ。
われわれはこの無礼な提案を受け入れるわけにはいかなかった。両国は2018~2019年に激しく衝突した。韓国と日本がしぶしぶ握手ぐらいは可能になったのは、韓国が2023年3月に強制動員被害者賠償問題について「一方的譲歩案」を出した後だ。この「屈辱外交」は韓国人の胸中に第2のわだかまりを残した。尹政権を通じて、歴史から安全保障まで日本の希望事項はすべて実現したが、韓国が期待した「半分満たされたコップ」は結局、満たされなかった。
過去数カ月間、韓国は「このままでは国が滅びる」という言葉がふさわしいほど、大きな危機に直面しなければならなかった。12・3内乱で国が空中分解するところだったし、トランプ大統領の暴走によって、韓国のこれまでの繁栄を可能にした「自由主義的国際秩序」は事実上崩壊した。いまや私たちが備えなければならないことは、今後30~50年ほどは続くと予測してきた米中の戦略競争ではないのかもしれない。米国が覇権国の責務を放棄し、現在のように利己的な横暴を継続するならば、わずか数年以内に、これまで人類が作り上げてきたすべての価値と国際規範が消えた「弱肉強食の時代」が到来するかもしれない。状況がそのようになったとき、「価値を共有する」韓国と日本は、好むと好まざるとにかかわらず、互いに重要な頼みの綱になる。
かつて甲申政変の主役だった徐載弼(ソ・ジェピル)は『回顧甲申政変』で、金玉均(キム・オクキュン、1851~1894)が口にしたというビジョンを紹介している。「彼がいつもわれわれに言っていたのは、日本が東方の英国の役割を担おうとしているのだから、われわれは、我が国をアジアのフランスにしなければならないということだった」。石破首相は結局、謝罪と反省を口にしないまま、われわれに友好と協力を要求することになるだろう。6月4日に任期を始めることになる新大統領は、容易ではない選択に直面することになる。それでも、彼らの手を握ることを望む。非難を受けても、この言葉だけは必ず伝えたい。
2025/04/10 18:46
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/52916.html