「本当に来たのですか。選挙が終わるまでは大丈夫、亡くならないはずです」。扉が開かれて「香子です」という声が聞こえると、白髪の濱田芳枝氏(98)は杖を落とした。梁香子(ヤン・ヒャンジャ)元国会議員(58)と抱き合った芳枝氏はずっと涙を拭いていた。20日、東京都東大和にある芳枝氏の自宅を訪れた梁氏も涙を流した。
大統領選挙に向けた国民の力党内選挙を差し置いて梁氏が日本を訪問したのは、彼女の「半導体の父」濱田成高博士のためだった。19日に100歳になった濱田博士は最近、大腸がんの診断を受けた。濱田博士の危篤を知ると、梁氏は党内選挙期間にもかかわらず飛行機に乗った。梁氏は「私は16歳で父が亡くなり、濱田博士が父親のようになってくださった。選挙のために来なければ一生後悔することになりそうだった」と語った。
東京大出身の濱田博士はサムスン創業者、故李秉喆(イ・ビョンチョル)会長の半導体技術諮問を担当した人物で、韓国半導体事業を陰で支えた。梁氏との縁は37年前の1988年に遡る。当時、李会長が濱田博士夫婦をソウルオリンピック(五輪)に招待し、通訳が必要だった。この時に通訳を引き受けて5日間案内したのが梁氏だ。芳枝氏は「当時、私は60代だったが、階段を下りるのに手を握ってくれた」と言って笑った。「日本に遊びに来てほしい」という濱田博士の招待を受けて日本を訪れながら国籍が異なる3人は家族になった。
子どもがいなかった濱田博士夫婦はハングルを勉強して手紙を送った。37年間の手紙は数百通にのぼる。梁氏が結婚して子どもを出産し、その子どもが成長する姿を見るのは夫婦にとってもう一つの幸せになった。梁氏がスマートフォンに保存していた「孫」の映像を見せると芳枝氏はうれしそうな笑顔になった。芳枝氏は「旅行に行った時、みんなが私たちに似ていると言ってくれた」と話しながら笑った。
芳枝氏は「過去の物を一つ見つけた」として紙を渡した。李秉喆会長の直筆メモだった。濱田博士の専務昇進を記念して贈った螺鈿箱に入っていたもので「祝 サムスン物産株式会社会長 李秉喆」と書かれていた。芳枝氏は「夫はいつも香子は韓国から来た娘、いつか大統領選挙に出ると言った」とし、誇らしい表情で螺鈿箱を渡した。「できることなら私も一票を投じたい。韓国に持っていって良いところに使ってほしい」と言いながらだ。螺鈿箱を手にした梁氏はまた涙を流した。
濱田博士に会うために車で10分ほど走って訪れた西武中央病院。閉まっていた病院の前から電話をかけた。「目を合わすことだけでもできないだろうか」と頼んでみたが、面会はできなかった。病院側の関係者は「韓国で駆けつけたのに気の毒だが、事前の予約がなければ面会はできない」とし、申し訳なさそうに引き返した。
羽田空港に向かう途中、梁氏は「濱田博士は日本が可能なことは韓国でも可能だと言って半導体に確信を抱かせた方」とし「『昼夜を問わず仕事をするのは気の毒だが、それがサムスン』といって勇気を与えた」と振り返った。また「濱田博士は韓日半導体の懸け橋の役割をされた方」という言葉を残して金浦(キンポ)行きの飛行機に乗った。
2025/04/21 10:27
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