647年ぶり故郷に戻った高麗仏像、日本返還を控え最後の親見法会

投稿者: | 2025年5月6日

倭寇に略奪されて以来674年ぶりに故国に戻った観世音菩薩坐像が最後の親見法会を終えて日本に返還される。

忠清南道瑞山(ソサン)の浮石寺(ブソクサ)と瑞山市によると、釈迦生誕日の5日、一般市民が観世音菩薩坐像を近くで見ることができる親見法会が最後に進行された。浮石寺側は1月25日から毎日午前10-午後5時に親見法会を開いてきた。仏像を最後に見る機会ということで瑞山と洪城(ホンソン)など地域住民のほか、ソウルと大田(テジョン)・世宗(セジョン)などからも訪問者が続いた。

 全国から約4万人が観世音菩薩坐像を直接見るために浮石寺を訪れた。小学生の児童らは仏像の絵を描き、仏教徒らは「花より美しい観世音菩薩様、愛してます、必ずまた会いましょう」「必ず帰ってきてください」というメッセージを残すなど、観世音菩薩坐像の日本返還を惜しんだ。この期間、共に進行した還収努力請求署名には約1万5000人が署名した。

◆10日に「送仏儀式」終えて日本に返還

浮石寺は10日午前10時から1時間ほど仏像を送る「送仏儀式」を行う予定だ。その後、仏像は対馬観音寺側に引き渡されて日本に返還される。2012年10月、韓国人の文化財窃盗団が対馬で観世音菩薩坐像を盗んで国内に持ち込んでから12年7カ月ぶりだ。日本側では先月11日に水嶋光一駐韓日本大使が浮石寺を訪れて仏像を点検するなど返還に注力してきた。

京畿道平沢(ピョンテク)から家族と共に訪れた50代の女性は「わが国の文化遺産であるのは明確であり、日本が略奪したのも確実だが、なぜ返さなければいけないのか分からない」とし「残念なことであり、この機会に日本に奪われた文化財の還収にも政府と国民が積極的に取り組まなければいけない」と強調した。

これに先立ち2012年10月、K(当時70歳)ら文化財窃盗団4人は対馬の観音寺と海神神社に侵入し、観音菩薩座像など仏像2点を盗んで韓国国内に持ち込んだ。このうち銅造如来立像は2016年に返還された。観音菩薩座像は高さ50.5センチ、重さ38.6キロで、14世紀初期に制作されたと推定される。1973年に日本で有形文化財に指定された。

瑞山浮石寺は「1330年ごろ瑞州(現忠南瑞山市)にある寺院に奉安しようとこの仏像を製作した」という仏像縁結文を根拠に、倭寇に略奪された仏像であるため元所有者の浮石寺に返してほしいと要求し、2016年に国家を相手に訴訟を提起した。

◆2012年に韓国に持ち込んだ後、法廷攻防

2017年1月、1審裁判所の大田(テジョン)地裁が浮石寺側の主張を認めて「所有権は浮石寺にある」と判決すると、日本側は外交ラインを通じて仏像の返還を要求するなど韓日間の葛藤様相が生じた。

しかし2023年2月、大田高裁は1審判決を取り消して原告の請求を棄却した。当時、大田高裁は「倭寇がこの仏像を略奪して日本に不法搬出したとみる相当な状況がある」としながらも「ただ、国際司法に基づき被告補助参加人(観音寺)が法人として設立された1953年から20年間該当仏像を占有したため、所有権が認められる」と明らかにした。大法院(最高裁)も2023年10月に「取得時効が完成した」とし、仏像の所有権が日本にあると決定した。

浮石寺側は観世音菩薩坐像が倭寇に略奪された事実と11年にわたる所有権紛争を経て日本に戻る過程などを記録に残す計画だ。当初、浮石寺は仏像複製品2点を制作し、1点は研究用として活用、残りの1点は最初の制作当時のように金銅を被せて奉安するため日本側に3Dスキャンができるように協力を要請したが、観音寺がこれを拒否して実現しなかった。

浮石寺の円牛僧侶は「略奪された文化財が本来の所蔵処(所有者)に戻ってこそ本来の価値を発現し、それが文明社会」とし「我々ができなかったことを子孫がすることを強く願う」と述べた。

2025/05/06 11:29
https://japanese.joins.com/JArticle/333409

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