300年前の先祖が植えた「朝鮮ニンジン」…韓日友好の種を蒔く(1)

投稿者: | 2025年6月20日

◇韓日がこれまでに経てきた60年は波乱と曲折の時間だけではなかった。「反日」と「嫌韓」を越えて今や両国国民交流「1200万人時代」という反転の歴史が築かれている。この驚くべき叙事を萌芽させたのは、他でもない韓日両国の国民だった。葛藤と反目を越えた両国国民の「絆」を通じて韓日の昨日と今日、そして未来の話を聞いてみた。

「日本人はもちろん、韓国人も栃木県に朝鮮ニンジン(高麗人参)が伝えられて代々継承されているという事実を知る人は多くありません。先祖が蒔いた韓半島(朝鮮半島)の種を韓日友好のしるしとして大きく育てたいです」

 日本の首都東京の北に位置する栃木県。日本が誇る世界文化遺産「東照宮」があり、多くの韓国人観光客が今も多く訪れる場所だ。江戸時代を開いた徳川家康の位牌を奉ったこの場所を知る者は多いが、約300年前、この土地から始まった朝鮮ニンジン(正式名称は「朝鮮お種ニンジン」)について知っている人は多くない。このような朝鮮ニンジンの栽培法保存のために日本列島の各地を渡り歩いて奮闘中の在日同胞2世の陳賢徳(チン・ヒョンドク)さん(69、株式会社フェドラ代表)と12日、会った。陳さんは栃木県の旧名「下野(しもつけ)」にちなんで設立した「下野朝鮮お種ニンジン栽培方法保存協議会」会長も務めている。

足首まで育った雑草道を5分ほど歩いただろうか。小さな遮光ネットをかけた施設が目に入ってきた。栃木県宇都宮大学農学部付属農場に作られた朝鮮ニンジン栽培用の畑だ。防虫網を持ち上げると大小の葉を付けた朝鮮ニンジンが顔を見せる。在来方式に従って自然栽培を始めて5年目だが、一目でその違いが分かるほど生育状態が良くない。遮光ネットの下で育っている朝鮮ニンジンの中で、花の軸が上がってきて青い種をつけているのはたった1株。3年もたてば花が咲いて種をつけ始めるが、発育が良くないのだ。同行した高橋行継・宇都宮大学名誉教授が陳さんを見て気まずそうな顔で言う。

「種を蒔いて何もせずに朝鮮ニンジンを収穫できればよいが、朝鮮ニンジンは中間で枯れることもあって栽培が容易ではないのです」

宇都宮大学が朝鮮ニンジンを研究することになったのは5年前に遡る。陳さんは当時栃木県鹿沼市の佐藤信市長と会い、朝鮮ニンジンの話を偶然耳にした。「栃木県に朝鮮ニンジンの生産農家があったが、現在残っているのはたった1カ所」ということだった。好奇心がかき立てられた陳さんはすぐにその生産農家を訪ねた。当時70代だった渡辺正さんと会った陳さんは「後継者がいなくて、このままいけば朝鮮ニンジンの栽培がこの代で終わる」と聞いて朝鮮ニンジンを守ろうと心に決めた。

一時、日本が朝鮮ニンジンを世界に輸出するほど(明治時代の単一品目基準13位)朝鮮ニンジンを拡散させた発祥地であり、自身が生まれたこの土地で朝鮮ニンジンが消えるままにしておくことはできないという信念だった。陳さんは噂を頼りに大学と地域の高校を捜した。宇都宮大学、鹿沼南高校が参加の意志を表明し、最後に鹿沼市まで加わって2021年に保存協議会が立ち上げられた。

陳さんの後援で渡辺さんの朝鮮ニンジン畑で採集した種を大学と高校で育て始めた。だが、伏兵は随所に待ち受けていた。高橋さんは「渡辺さんが連作栽培をしてきて種の収穫がますます難しくなっている。種がなければ栽培継承が難しいので種の保存と継承という双方向からプロジェクトを進めることになった」と話した。

大学の農場から車で50分余り。鹿沼南高校に到着した。遮光ネットの下で育っている朝鮮ニンジンは大学の農場のものよりは確かに立派だったが、種はまばらだった。担当教師の天海学さんは「学校人事で担当教師がよく代わり、これまでの過去の記録が消えた。本当に残念」とした。

栃木県唯一の朝鮮ニンジン栽培者である渡辺さんの朝鮮ニンジン畑へと向かう道。陳さんが淡々とした声でこのように説明してくれた。

「記録によると、種60粒のうち3粒だけが栽培に成功したというほどなので、成功率が5%にすぎないほど朝鮮ニンジンの栽培は難しいのです」

2025/06/20 17:47
https://japanese.joins.com/JArticle/335300

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