「1984年から86年までは本当に大変だった。もうけは出ないし開発も思い通りにいかなかった。会議は毎日夜11時まで続いた。社長と専務も参加した。当時の器興(京畿道)は本当に田舎だった。終わるのがあまりに遅いため、毎晩会社が車を用意してくれた。必ず2台のバスに分かれて乗った。万が一事故が起きたら私たちの夢が一瞬にして消えてしまうという切迫感があったからだ」
2004年11月に作成した記者の取材手帳には、こんなことが書かれていた。取材したのは当時のサムスン電子次世代研究チーム長、金奇南(キム・ギナム)専務。後にサムスン電子の代表取締役副会長にまで上り詰めた人物だ。
「サムスンはなぜ好調なのか」との質問に、金氏は「会議文化」を挙げた。「専務から代理まで、誰もが躊躇せずに反対意見を言う。このような文化は、我々が未知のこと(半導体事業)を一から進めながら生まれたものだ。知らないことを最も速く進めるためには、最も有能な人間、そして最も正確に知っている人間が重要だということを体得したのだ」と説明した。
20年前の取材手帳を引っ張り出した理由は、先月末に日本経済新聞が2回にわたって掲載した「サムスンと韓国経済」という特集記事を見たからだ。サムスンの追撃に最も脅威を感じていたであろう日本が、「大企業病」を患った韓国を心配する内容だった。記事は「韓国のサムスン電子はトップの決断力と猛烈な組織力によってエレクトロニクス産業の巨人となったが、米アップルと台湾積体電路製造(TSMC)の背中は遠のくばかりだ。中興の祖の先代会長(李健煕〈イ・ゴンヒ〉)が育てた事業の収益は細り、事業刷新は進まない。李在鎔(イ・ジェヨン)会長が事態の打開に乗り出した」という内容だ。
このところ高帯域幅メモリー(HBM)の生産で後れを取り、スマートフォンでは13年ぶりにアップルに世界1位の座を明け渡したことに言及した。さらに「10年間、サムスン電子の売上高と営業利益はほぼ横ばいだが、日本のソニーグループと日立製作所は事業構成を入れ替えて収益性を改善し、株価を米金融危機後から10倍以上に引き上げた」と自画自賛を惜しまなかった。
しかし、日経記事の真の要点は、サムスンだけでなく韓国経済全体の問題に対する指摘だった。2023年までの5年間で、韓国の半導体、バッテリー、有機EL(OLED)、造船分野などの技術の海外流出は96件。流出先は大半が中国で、これは氷山の一角だとした。出世競争に敗れた技術者らが大勢中国に渡り、液晶パネル世界1位に立った中国の京東方科技集団(BOE)では100人以上の韓国人が働いているとも書いた。
韓国の基幹産業であるディスプレー、造船、石油化学、バッテリー、鉄鋼などの分野で現在、世界のトップは全て中国企業であり、中国の製造業と同じ土俵で戦っていては勝ち目がないとも分析した。
こうした状況を指摘した上で、韓国内部の「モーレツ文化」が姿を消しつつあることに言及した。労組が主な支持基盤だった文在寅(ムン・ジェイン)政権で「週52時間労働」が法整備され、これによって仕事への姿勢、働き方が大きく変わったと指摘した。「働く意欲のある若い社員に帰宅を促さなければならず、定時退社に慣れた社員の間では『時間を会社に売る』という意識が根付いてしまった」と嘆く大企業幹部の言葉も紹介している。
韓国経済は既に、輸出産業を多く抱える財閥企業の競争力が低下し、鈍化期に入っている。その上、日本より深刻な少子高齢化、5000万人にすぎない内需市場という状態で、どうしたら競争力を維持できるのだろうか。
我々自身もすでに分かっていることだが、時には外部の目が刺激になる。心配の声が出ているということは、乗り越えるチャンスであると同時に、衰退が現実化していることをも意味する。ところが現在の韓国社会はどうだろうか。総選挙を前に、ちまたには復讐と憎悪の叫び声ばかりがあふれている。こうした選挙の風景を見て感じる絶望感は、極端な陣営論理(味方なら間違っていてもかばい、敵なら容赦なく批判すること)のせいだけではない。
イ・インヨル記者
2024/04/22 15:00
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/04/16/2024041680175.html