「朴菖煕教授、1950年代の在日同胞差別から民族問題に生涯をかけた」【寄稿】

投稿者: | 2025年7月14日

在日同胞への差別・偏見が増幅した 「小松川事件」を留学時代に知り 韓国に知らせ、死刑囚を救うため努力 1968年の帰国後は国民学校改名運動や 利川五重石塔返還運動などを展開  「北朝鮮の家族と書信交流」を理由に 1995年にスパイの濡れ衣を着せられ、3年間収監 83歳で「龍飛御天歌」訳注書を出版

 朴菖煕(パク・チャンヒ)先生(1932~2025年)は、韓国外語大学在職時代に50代の年齢でも大学祭のたびに学生たちと短縮マラソンを走るほど心身ともに健康で、長身で頑強だった。スパイの濡れ衣を着せられ3年間投獄されて出所した後、30年余りにわたり在野学者として民族問題の研究と実践的行動を厭わなかった。数年前に病気を患った後も最後まで本とペンを手放さず、今月8日午前に逝去された。

 先生に初めてお目にかかったのは、1978年に韓国外大に入学し、仮面劇研究会に入った時だ。「ひたすら文化活動としてタルチュム(仮面の舞)、私はそれにこだわる」。指導教授だった先生は公演のたびに韓服のトゥルマギにカッ(帽子)をかぶって伝統儀式に臨まれた。

 植民地時代に生まれ、国民学校の生徒として道知事賞を受けたという秀才だった先生は、解放を迎え混乱にとらわれ、一種の自己分裂を起こしたという。その上、解放後の政局の混乱と相次ぐ戦争は青年朴菖煕が耐えられるものではなかった。ついに日本行きを選んだ先生は、日本帝国主義の本性と植民地の民族抹殺政策の実体を知り、民族問題に生涯を捧げる道に足を踏み入れた。

 日本で一橋大学経済学部を卒業し、都立大学で修士号を取った後、一橋大学で博士号を取得した。先生は、日本の学界の批判的知識人として知られる旗田巍、上原専禄、西順蔵教授らと出会い、民族と国の問題を考え、思考を深めていった。

 先生は1958年に日本で起きた殺人事件、いわゆる「小松川事件」を通じて在日同胞の現実を直接目撃し、さらに一歩進んで「民族の実体を成している民衆の現実」を知るようになった。小松川高校で起きた殺人事件の犯人は、在日同胞であり、中学時代には生徒会長をも務めていた李珍宇(イ・チヌ)だった。日本の新聞は連日、朝鮮人に対する偏見、差別、疾視、そして嫌悪と憎悪の発言を載せ、高等裁判所は死刑を宣告した。先生は少なくとも上告を通じて再審の機会を与えようと李珍宇の父親の名前で上告する一方、「韓国日報」に寄稿し、この事件を韓国国内に知らせたのに続き、日本と韓国で2万5千人余りが署名した嘆願書を日本の法務大臣に提出した。

 少年李珍宇は刑場の露となって消えたが、この事件は韓国と日本で在日同胞問題を初めて浮き彫りにし、先生個人には民族と民衆の問題を結合させる一つの契機となった。民族と民衆、民族と国、民族意識と民族思想。これは先生の脳裏から生涯離れなかった学問的問題意識の本質であり、話題でもあった。

 知日、親日、反日、克日。韓国と日本の関係に関連して思い浮かぶ言葉だ。今考えてみると、先生が積極的に活動した韓日農村友情文化交流、独島(トクト)探査および地神踏み、国民学校改名運動、松代大本営探査、利川五重石塔返還運動、大阪コリアタウン地神踏み、松本渡来人祭りへの参加などは、すべて知日・親日・反日の結合から出た結果ではないかと思う。

 知日は日本を正しく知ることだ。日本の一番大きな問題は天皇制と神道だという問題意識が代表的だ。親日は日本の問題を自覚している新しい日本人と連帯することをいう。反日は独島の問題、徴用の問題、松代大本営の問題などを的確に指摘することをいう。先生はこの三つの結合がまさに日本と対等に出会い、善隣の隣国として歩み出ることのできる近道だと教えてくれた。

 言うまでもなく、1968年に帰国した先生が梨花女子大学と韓国外大で築いた学問的業績も大きい。しかし、これは筆者が評価できるものではない。ただ、高麗時代を貴族制社会とみる既存の学説に反対し官僚制社会だと主張したことと、学生たちに直接見て読んで感じるようにするために「史料国史」を編纂し教材として使ったという点は述べておきたい。

 1995年、先生は思いもよらずスパイという濡れ衣を着せられ、国家保安法の犠牲者になった。当時検察官は、北朝鮮にいる3番目の兄との書信交流、国民学校改名運動が北朝鮮の指令によるものだという理由で、無期懲役を求刑した。しかしその後、最高裁は書信交流のみを認め、3年6カ月の刑を言い渡した。そして先生は3年で執行停止で出所した。国家保安法による捏造捜査と脅迫と殴打による暴力は、一人の人間とその家族を疲弊させ、韓国社会を繰り返し後退させた。生涯民族を研究し、行動で実践した人物に、国家はむしろ暴力を振るった。

 先生が最後まで悩んで努力された問題も、民族と国、民族思想に関するものだった。特筆したいのは、80歳を超えた2015年に最後の著作として「訳注 龍飛御天歌」(全2巻・韓国学中央研究院出版部)を出版したことだ。

 「世宗は国を自強、自尊で明との冊封体制を形骸化し、『訓民正音』ですべての身分と階級を超越した統一した文化共同体を作りました。世宗は軍事主権を強固に掌握し、領土を保存し、国を当時の世界史の普遍的国家に昇華させ、人の生命を重視する思想原理としての仏教を価値に据えました」

 未熟な弟子である私は、世宗が見せてくれた民族意識を通じて、民族が国と、国が民族と共に繁栄する世の中を作ることが私たちに残された遺業だと考える。受け継ぐ責務は大きく、能力は及ばないので、先生が見せてくださった「発憤著書」の姿勢で進み続けようと思う。

シム・ギュホ/済州国際大学教授・ピョルコル学校理事長

2025/07/14 01:23
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/53727.html

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