東アジアは非常に長い間、漢字の共有を基盤とする文化共同体だった。複数の国が共有する公的倫理の基本教科書があり、旺盛な相互交流を通じて文化的な豐饒化(interfertilization)を成し遂げた。西勢東漸の時代以来、そして特に前世紀の悲惨な経験、日本の軍国主義侵略、太平洋戦争、その後の韓国戦争(朝鮮戦争)とベトナム戦争など戦争の惨禍を踏んで今まさに新しい復興の希望が芽生えようとする時期に、また戦争の話が日常の一部のように登場している。
米国の影響は依然として安定に重要な変数だ。しかしこの地域なりの創意的な努力も重要ではないだろうか。
「戦争は非常に重要な問題であり、軍人だけに任せておくことはできない」という言葉があるが、今日はむしろ人の生存に直接関連する戦争の問題を政治家だけに任せておけないという認識が重要になった。戦争は、多くの人々の犠牲と苦痛を代償に、一部の政治家の政治的な目的に奉仕する手段となり得るからだ。
戦況の推移も展望するのが難しい1941年、米国と英国は大西洋憲章を通して戦後世界秩序に関する構想を発表した。この憲章をソ連を含む33カ国が承認し、その構想は戦後成立された国連の原則となった。この憲章に対する批判と反論もあったが、将来が不確かな時期だったにもかかわらず大戦後の新しい世界秩序の概要を定義し、大きな枠組みの合意を引き出した点は評価できる。
韓国と日本は今年修交60周年を迎え、また交流と協力を強調している。しかし両国の協力が両国間の関係を越え、この地域で平和と安定、そして繁栄を共にする創意的な企画に拡大することを考えられないだろうか。例えば「東アジア憲章」のようなものだ。この地域の複数の国が政治的な違いにもかかわらず、ほとんどが民主と共和の原則を基本としている。この地域レベルの安定と平和がなければ、韓日両国だけの安全と繁栄も期待しにくいのではないだろうか。
羅鍾一(ラ・ジョンイル)/東国大教授
2025/07/19 11:20
https://japanese.joins.com/JArticle/336477