日本の首相として在任中に韓国に対して植民地支配を謝罪する談話を初めて発表した村山富市元首相が17日、出身地の大分県内の病院で老衰で死去した。101歳だった。
1924年に大分県の漁師の家に生まれた村山元首相は東京私立商業学校夜間科を卒業し、明治大学政治経済学科に入学した。戦時中は学徒出陣で徴兵され終戦を迎えた。1946年に大学を卒業した後は故郷の大分県に戻り、漁業共同組合の設立や労働組合書記などの活動を続けながら日本社会党に入党した。市議会議員や県議会議員などを経て1972年に衆議院議員に初当選し、当選は8回を数えた。1994年6月に自民党との連立政権で第81代首相に就任し、1996年1月まで在任した。社会党からは47年ぶりの首相だった。
平和を訴えてきた村山元首相は、日本による侵略や植民地支配をめぐる歴史問題の解決や周辺国との関係改善に力を入れた。村山元首相は1995年8月15日「戦後50周年の終戦記念日にあたって」を閣議決定した。この中で村山元首相は「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」「歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」との考えを示した。閣議決定した談話で「痛切な反省」「心からのおわび」など明確な表現で首相が謝罪したのはこれが初めてで、歴史的にも大きな意味があると評されており、その後の歴代の日本政府はこの談話を継承する形で謝罪の意向を伝えてきた。韓国と日本が不幸な歴史を乗り越え、未来志向の関係構築を目指すとした1998年の「金大中(キム・デジュン)-小渕宣言」もこの村山談話が土台となった。
村山元首相は1995年に従軍慰安婦問題の解決を目指す「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を立ち上げた。政界引退後もアジア女性基金の理事長を務め、慰安婦被害者への「慰労金」の募金を進めた。村山元首相は1999年に超党派議員団の団長として北朝鮮を訪問した。
村山元首相は1987年に首相の資産公開制度が始まって以来、最も少ない資産を申告した首相でもあった。首相在任中「私は年中無休で働く漁師の家の出身なので、休暇は必要ない」としていたが、「海外で笑い者になってはいけない」とする周囲の声を受け入れ箱根旅館で休暇を取ったという逸話もある。慈悲深い好々爺の印象から日本でも老若男女関係なく人気が高く、「トンちゃん」の愛称で親しまれている。昨年100歳を迎えた時のメディアのインタビューでは長寿の秘訣(ひけつ)について「無理をせず、自然体で暮らすこと」と語っていた。
キム・ボギョン記者、パク・カンヒョン記者
2025/10/18 10:40
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