梅毒はやっかいな伝染病だ。症状もひどく、感染経路も非道徳的であるため、人々は梅毒にかかったことを恥じる。ところが、かつてロシアでは梅毒をポーランド病と呼んだ。そして、ポーランドではドイツ病、ドイツではフランス病、フランスではイタリア病、イタリアではフランス病と呼んだ。つまり、互いに隣国をこの病原菌の起源だと呪っていたのだ。『FACTFULNESS』(ファクトフルネス)の著者のハンス・ロスリング氏は、このような現象を非難本能と命名した。人々は問題の原因と解決案を出すのではなく、非難する対象を先に探すため、ファクト(事実)を正しく読み取ることができないのだ。
われわれが暮らしている東アジアも例外ではない。日本には嫌韓があり、韓国には嫌中があることはよく知られている。では、中国はどうか。ミャンマーを嫌悪する。中国の映画やドラマのなかでは、ミャンマーは麻薬と犯罪の巣窟として描かれる。腕に入れ墨をして5年ぶりに現れた友人が低い声で「この前はミャンマーにいた」と言えば、それ以上の説明は必要ないといった具合だ。このような雰囲気のため、実際に中国の人たちは、ミャンマーはもちろん、ミャンマーに隣接する雲南省にも行くことを敬遠しているようだ。昨年夏に雲南省で会った旅行ガイドは、雲南省がいかに安全なのかを長々と説明した。ガイドが安全だと言った理由は、ミャンマーの人たちはあまりいないというものだった。麻薬、臓器摘出、賭博、組織犯罪が登場するガイドの長い説明のなかで、筆者が感じたのは、安堵感ではなくミャンマーに対する憎悪と偏見だった。そして、われわれ韓国人が中国に対して持っている印象がオーバーラップされることは避けられなかった。あらゆる社会にはこうした便利な嫌悪(ヘイト)の対象があるようだ。
ところで問題は、このような偏見によって現実を否定するようになることだ。日本で嫌韓現象が現れ始めたのは、日本が成長を止めて韓国が本格的に追いついた時期と一致する。筆者が日本に留学していた2005年ごろ、日本の友人たちは、サムスン電子が日本の電子業界全体より多くの利益を上げていたり、現代自動車が海外市場で脚光を浴びていたりする事実をなかなか信じようとしなかった。韓国で情報通信革命が進行し、インターネット専用の報道機関が登場し、銀行業務や官公庁の事務処理が急速に電子化されていることも理解できなかった。友人たちのこうした現実否定も、ある程度は理解できた。なぜなら、日本では、サムスンの携帯電話や現代自動車をみかけることができなかったからだ。世界的には成功していても、日本市場では見当たらないのだから、どうして信じることができるのだろうか。日本の友人たちは、書店に嫌韓コーナーがあり、街頭でヘイトスピーチが広がっている現実を恥じながらも、韓国が発展する真の姿を真剣に見ようとはしなかった。日本の人たちが話したがる韓国についてのテーマは、韓国のあかすり文化やコプチャン・トッポッキ、そして「冬のソナタ」のヨン様のようなものだった。
今の韓国人はどうなのか。懸命に努力して目標達成に忙しく、他人を嫌悪する暇がなかった韓国も、低成長の沼に落ちたことで、ヘイトの現象が徐々に現れ始めている。日本が景気低迷下で韓国を嫌悪したことと、20年後に韓国が中国を嫌悪する現象は非常によく似ている。両国ともかつては自分より劣るとみなしていた対象が、自分に近づいてくるときに現れる反応だ。そして、両国とも相手が発展する姿を必死に否定する。日本市場で韓国の携帯電話や自動車をみかけなかったように、韓国市場で中国の高付加価値製品が見当たらないこともまったく同じだ。ある中国製品の品質が良ければ「大陸のミス」と呼ぶようなものだ。韓国は自身の最大の競争相手を過小評価する致命的な過ちを犯しつつある。日本が韓国に対してそうだったように。ヘイトと偏見にとらわれて現実を否定しても、何の問題解決にもならない。
2025/10/20 07:35
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