「頭蓋骨が割れて死んだ」証言も…佐渡鉱山の朝鮮人の強制動員否定、今も

投稿者: | 2025年11月21日

 「朝鮮半島出身の佐渡鉱山労働者が危険な坑内作業に従事する比率が高かったことを示す記録が残っている」

 21日、新潟県佐渡島の相川郷土博物館の別館2階。朝鮮人労働者の展示室では、韓国語と日本語を含む5カ国の音声で、上のような無味乾燥な説明を聞くことができた。だが、どこにも朝鮮人の「強制労働」に関する記録はない。昨年に続いで日本政府が示した態度と同様、展示室もこの1年で変化は見られなかった。7坪(23平米)あまりの空間には「(朝鮮人を含む)『徴用』は法令にもとづいたもの」という説明があった。朝鮮人が一カ月平均で28日働かされていたこと、処遇改善争議をおこなったこと、はしごの仮設作業中の死亡の実態など、苛酷な労働環境の一部を記録しているが、最後まで強制動員は認めていない。展示館の片隅には、ある朝鮮人労働者のきれいな木の弁当箱が一つ置かれていた。

 日本政府は昨年の佐渡鉱山のユネスコ登録時に「全体の歴史を伝える」と述べていたが、強制動員の記録を示さないという小細工で対応している。2022年に民族問題研究所と強制動員真相究明ネットワークが発表した「佐渡鉱山と朝鮮人強制労働」と題する報告書には、110人あまりの朝鮮人の過酷なエピソードが生々しく記録されている。

 「坑内で落ちて頭蓋骨が割れる事故にあった」。1941年に忠清南道青陽郡(チョンヤングン)から佐渡島に連れてこられたキム・ジュファンさんは、こうして坑内で残酷に死んでいった。その年の10月20日午前7時、わずか25歳だった。同年、佐渡島で岩を割る作業に投入されていたノ・ビョングさんは「坑内では墜落、昇降機、漏電、発破の事故で死んだ人がいた」と証言している。日本人の寮監の言うことを聞かないとムチ打たれた。イ・ギサンさんは31歳の時、岩石の爆破作業に投入されて両目を失明。ソ・ビョンインさんは空腹に耐えかねて偶然見つけた馬の死骸の脚を刻み、煮て食べた。パク・スンマンさんは忠清北道清州(チョンジュ)から、近隣の村の50人あまりの住民と共に集団動員された。チョン・サンドンさんは、故郷の全羅北道益山郡(イクサングン)の村に強制動員が2人割り当てられたことで、年老いた両親と妻、2人の子を残して佐渡に連れてこられた。このような例はよくあった。

 長きにわたる韓日の市民団体の努力で、すでに佐渡鉱山の朝鮮人被害者は1519人が確認されている。日本政府と朝鮮人強制労働に加担した日本の戦犯企業は、新潟県立文書館で「半島労務者名簿」の存在が確認されたにもかかわらず、原本の公開に協力していない。民族問題研究所のキム・ヨンファン対外協力室長はハンギョレに、「それらの文書は朝鮮人強制動員の被害事実を証明する最も有力な証拠」だとして、「韓日政府は未来指向的関係を語るが、正しい未来へと向かうために歪んだ過去をまず正さなければならない」と述べた。

 佐渡鉱山のユネスコ登録を条件に昨年開催された初の「佐渡鉱山追悼式」は、日本政府が朝鮮人強制労働を認めなかったことで韓国政府と遺族たちが出席を拒否し、分裂開催となった。今年も日本政府は、9月に韓国側の出席なしの「中途半端な追悼式」を終えている。駐日韓国大使館は21日午前10時、佐渡市で別途「中途半端な追悼式」を開催する。遺族は追悼式後、強制動員被害者たちが起居していた「第四相愛寮」跡に献花することにしている。

2025/11/21 06:00
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/54784.html

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