安重根「前もって日本を弔う」…115年ぶりに公開された遺墨

投稿者: | 2025年12月22日

「長歎一聲 先弔日本(大きく長く嘆息し、前もって日本を弔う)」
 安重根義士(1879~1910)が殉国直前、中国・旅順刑務所で日本人の高位幹部に残した遺墨『長歎一聲 先弔日本』が、115年ぶりに韓国で初公開された。京畿道(キョンギド)博物館が、この遺墨を含む関連遺物・資料31点を紹介する特別展「東洋志士 安重根、統一が独立だ」を通じてだ。幅41.5センチ、長さ135.5センチの絹布に書かれた遺墨左下の手決欄(署名する場所)には、「一千九百十年三月 東洋志士 大韓国人 安重根 旅順獄中書」と漢字で記されている。2000年に日本でその存在が初めて知られ、今年5月にようやく韓国に戻ったが、真偽をめぐる論争の中で、数度の鑑定や所蔵主体の変更など、紆余曲折を経てきた。

20日の特別展開幕に合わせ、京畿道博物館アートホールで「安重根統一平和フォーラム」が開かれ、この遺墨の鑑定根拠が公開された。発表を担当した国際法科学鑑定院のイ・ヒイル院長は、「書の鑑定では、筆記の癖、筆圧、筆画の始まりと終わり、字間、筆記速度などを総合的に分析するが、特に安義士の場合は左手の印章が決定的だ」とし、「断指によって切断された薬指の独特な痕跡だけでなく、全体的な掌紋(手相)の特徴点(単線、開始点、分岐点、接合点、終止点、図形線など)を見ても、偽作であるはずがない」と述べた。名前の「根」を書く際の筆画の変化についても、宝物指定の遺墨の中に類似例が3点あるとした。

これに先立ち、安義士の遺墨には「庚戌」という干支年号や「大韓国人 安重根」といった称号が用いられるのが一般的だが、『長歎一聲』では西暦年(1910年)と「東洋志士」を用いており異例、との指摘も出ていた。韓国で数度にわたり安重根遺墨展を開催してきた書の専門家、京畿道博物館のイ・ドングク館長は別途の発表で、「安義士が残した獄中遺書にも『1910年 庚戌 2月15日』など西暦年の記載が見られ、1909年のハルビン義挙の際に『大韓独立万歳』を叫んだのとは異なり、殉国の時点では『東洋平和万歳』を強調していた点から見ても、『東洋志士』は異例ではない」と説明した。

書体については、「典型的な顔真卿体を本人のスタイルとして昇華させた作品だ」とし、「文字によって死を超越した(という意味で)、東北アジア平和センターの金泳鎬(キム・ヨンホ)理事長が名付けた『超死体』という呼称が惜しくない」と評した。さらに「この遺墨が偽物だとすれば、既に宝物指定された遺墨がすべて偽物だということになる。鮮明な印章のおかげで、むしろ今後、真本の基準点になり得る」との見通しを示した。

この遺墨は、2000年にKBS(韓国放送公社)ドキュメンタリーPDだった現・尹奉吉(ユン・ボンギル)義士記念センター長のキム・グァンマン氏が日本で発見した。所蔵者は、安義士の裁判を管轄していた満州の関東都督府で高位職を務めた家系で、日本国内の雰囲気から遺墨を保管している事実を隠してきたという。李館長は「『日帝は滅びる』という意味の『弔う』を書いた決意や、手決で自ら『東洋志士』であることを明かした唯一の作品である点など、価値は大きい」と語った。

この遺墨は、5月の帰還後、京畿道博物館が京畿文化財団の基金を通じて購入意思を示したが、内部で真偽をめぐる論争が起きて頓挫し、最終的に再鑑定を経て光復会京畿道支部が購入した。これを委託された京畿道博物館で、韓国国内での初公開が実現した。来年4月5日まで続く展示では、明成(ミョンソン)皇后が書いた『玉骨氷心』、楊基薰(ヤン・ギフン)が描いた『閔泳煥(ミン・ヨンファン) 血竹図』、韓龍雲(ハン・ヨンウン)が書いた『朝鮮独立の書』、金九(キム・グ)が書いた『弘益人間』など、さまざまな書画や写真・映像資料が紹介されている。

2025/12/22 09:22
https://japanese.joins.com/JArticle/342440

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