そのころ韓日関係が少し静かになるかと思われたが、独島(ドクト、日本名・竹島)と東海の問題がふくらんだ。多分この問題は日本の内政と重なり今後千年は続くだろう。したがって韓日問題は知謀と「勉強」そして長い呼吸と「一定のあきらめ」が必要だ。私が日本の学者と会って独島問題を提起したところ、彼の返事は「韓国の人たちは独島が韓国の領土であることを証明する日本の歴史的資料を持っていると話すが、私たちも竹島が日本の領土であることを証明する韓国の資料を持っている」と話した。その話を聞いて本当に恥ずかしかった。この問題に関して韓国側が悲憤慷慨で血書を書く間に日本の歴史学者は勉強していた。彼らは私の論理に反論する証拠として閔泳煥(ミン・ヨンファン)全権大使がロシアのニコライ2世の戴冠式に参加しウラジオストクから船で帰国する際に独島を通過しながら「あの松島は日本の領土」と記録していた事実(「海天秋帆」1905年10月17日付)を指摘した。
歴史には心で生きた人間が頭で生きた人間に勝った事例は少ない。韓国人としてだれであろうとも憤怒がないわけではないが、憤怒はこの問題の正解ではなく、先に激怒する人が負けるというのが世の常だ。東側の海の名前が東海というが日本から見れば西海なのにしきりに東海とか朝鮮海だと言い張るのは合理的妥協案ではない。すでに中国では黄海という用語がなくなって久しい。中国はこの数年間に南シナ海、東シナ海、中国海、黄海という用語をなくし、すべて中国海と呼ぶ。東海という論理の沼に落ちている間に私たちは黄海(西海)を失った。それに対し私たちはなぜ沈黙するのか。東海でもそのような惨事が起きないだろうか。すでに西海を黄海と呼んでいるのだがから東海を青海と呼ぶことで韓日間の対立を解決するのはどうだろうかと何度も考えた。
このような論理が土着倭寇を探しハイエナのように通りを走る自称愛国主義者の攻撃にどれだけ容易で危険に自身を露出するかを私はよく知っている。しかしいまはだれかが立ち上がって話さなければならない。オックスフォード大学の歴史学教授セオドア・ゼルディンが指摘したように、当代の知識人は民衆の白内障を除去する眼科医になりその時代の誤った偏見を正さなければならない。しかしいまの韓国の現実を見れば民衆主義におじけづいた知識人は沈黙し、元老がいない社会で、坂を降りて行く自動車を見つめる不安を感じる。この暴走する進歩主義の後に近寄る歴史の反動がもっと恐ろしい。歴史は時計の振り子のように左右に揺れるためだ。
申福竜(シン・ボクリョン)/元建国大学碩座教授
2025/12/28 12:30
https://japanese.joins.com/JArticle/342693